どした時の父親の挙動《ふるまい》は、今思うとまるで狂気《きちがい》のようであった。母親も着飾って、よく女連と一緒に坐って聴いていた。父親や村の若い人たちは終いに浮かれ出して、愛らしい娘を取り捲《ま》いて、明るい燭台《しょくだい》の陰で、綺麗なその目や頬《ほお》に吸いつくようにしてふざけていた。お庄はきまりはずかしい念《おも》いをして、その義太夫語りに何やら少しずつ教わった。
「妾《あたい》にこのお子を四、五年預けておくれやす、きッと物にしてお目にかけます。」と太夫は言っていたが、父親はこんな無器用なものには、芸事はとてもダメだと言って真面目に失望した。
 秋風が吹いて、収穫《とりいれ》が済むころには、よく夫婦の祭文語《さいもんかた》りが入り込んで来た。薄汚《うすぎたな》い祭文語りは炉端《ろばた》へ呼び入れられて、鈴木|主水《もんど》や刈萱《かるかや》道心のようなものを語った。母親は時々こくりこくりと居睡《いねむ》りをしながら、鼻を塞《つま》らせて、下卑《げび》たその文句に聴《き》き惚《ほ》れていた。田のなかに村芝居の立つ時には、父親は頭取りのような役目をして、高いところへ坐り込んで威張っていた。
 養蚕時の忙《せわ》しい時期を、父親は村境の峠を越えて、四里先の町の色里へしけ込むと、きッと迎えの出るまで帰って来なかった。迎えに行った男は二階へ上ると、持って行った金を捲き揚げられて、一緒に飲み潰れた。そしてまた幾日も二人で流連《いつづけ》していた。
 夜の目も合わさず衆《みんな》が立ち働いているところへ心も体も酒に爛《ただ》れたような父親が、嶮しい目を赤くして夕方帰って来ると、自分で下物《さかな》を拵えながら、炉端で二人がまた迎え酒を飲みはじめる。棄てくさったような鼻唄《はなうた》や笑い声が聞えて、誰も傍へ寄りつくものがなかった。
 お庄は剛情に坐り込んで、薪片《まきぎれ》で打たれたり、足蹴《あしげ》にされたりしている母親の様子を幾度も見せられた。火の点《つ》いているランプを取って投げつけられ、頬からだらだら流れる黒血を抑《おさ》えて、跣足《はだし》で暗い背戸へ飛び出す母親の袂《たもと》にくっついて走《か》け出した時には、心から父親をおそろしいもののように思った。

     七

 そんなことを想い出している間に、父親は鉄灸《てっきゅう》で塩肴《しおざかな》の切身を炙
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