同は広小路の方へ出て、それから梅月《ばいげつ》で昼飯を食べた。大阪生れの丸山の内儀さんは、お庄にそう言って酒を一銚子誂えて、天麩羅《てんぷら》に箸をつけながら、猪口《ちょく》のやり取りをした。
 斑点《しみ》の多い母親の目縁《まぶち》が、少し黝赭《くろあか》くなって来た時分に、お庄の顔もほんのりと染まって来た。色の浅黒い、痩《や》せぎすな向うの内儀さんは、膝に拡げた手拭の上で、飯を食べはじめた。
 そこを出たのは、もう日の暮れ方であった。
 叔父がまた新たに成り立とうとしている会社のことで、家で仲間と相談会を開いていた。叔父は真面目な他の会社などへ勤めて、間弛《まだる》っこい事務など執っていられなかった。子供に続いて、妻が長患《ながわずら》いのあげくに死んでから、家というものを、あまり考えなくなった。それだけ心が安易にもなっていたし、緩《ゆる》んでもいた。
 しばらく絶えていた烏森の方へ、叔父はまたちょくちょく足を運び始めた。家にいる時は、寝ても起きても新しく企てられた会社のことを考えていた。
「どんな向きの会社だか知らないけれど、そんなことをやりはねて、また失敗《しくじ》るようなことがあっては困るでね。それよりかやっぱり口を捜して、月給を取っていた方が気楽のように思うがね。」母親は時々弟に頼むように意見をした。これという資本もない考案中の会社が、どうせいかさま[#「いかさま」に傍点]なものだということが、母親の頭脳《あたま》にも不安に思われた。
「まあ黙って見ておいでなさい。私も今となって、不味《まず》い弁当飯も食っていられないで。」
 石川島へ出ている時分セメントの取引きをして親しくなった男や、金貸しや地所売買の周旋屋をしている丸山などと一緒に叔父はその会社を盛り立てようとしていた。中には古い友達の中学の先生もあった。
 金六町の方に設けられたその事務所へ、やがて一家が引き移ることになった。そこは灰問屋と舟宿との間に建った河岸《かし》に近いところであった。
 田舎から出た当時から、方々持ち廻ったお庄親子の古行李が、叔父の荷物に紛れて、またそこの二階へ積み込まれることになった。

     五十四

 この家の格子先へ、叔父の能筆で書いた看板が掲《か》けられたり、事務員募集の札が張られたりした。毎日寄って来る人たちは、店にならべた椅子|卓子《テーブル》によって、趣
前へ 次へ
全137ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング