かして芸者屋を出させ、抱えも二人までおいてやった女を、たとい二年たらずの刑期の間でも、置いて行くのは心残りであった。
猪野はこの町の閑静な住宅地に三年ほど前に新築した本宅があり、仙台の遊廓《ゆうかく》で内所の裕《ゆた》かなある妓楼《ぎろう》の娘と正式に結婚してから、すでに久しい年月を経ていたが、猪野が寿々廼家の分けの芸者であった竹寿々の面倒を見ることになり、ほどなく詐欺事件で未決へ入っている間に、妻は有り金を浚《さら》って猪野の下番頭であった情夫と家出してしまい、今は老母と傭人《やといにん》と二人で、寂しく暮らしていた。猪野はこの事件のあいだ弁護士と重要な協議でもする場合に、お竹をも呼び寄せ、本宅を使うだけで、不断は二人で松島とか、金華山とかへ遊びに出かけるか、土地の料亭《りょうてい》で呑《の》むか、家で呑むかして、苦悶《くもん》を酒に紛らせているのだったが、お竹の芸者時代の馴染客《なじみきゃく》のことでは、銀子たちも途方に暮れるほどの喧嘩《けんか》がはじまり、宥《なだ》め役にしばしば本家のお神が駈《か》けつけたのだった。
不思議なことに、猪野が横領した二十万近くもの金を吐き出しもせず、体刑で済ましたやり方の巧妙さが、とにかく土地の人の賞讃を博し、鈴弁とは比較にならぬ智慧者《ちえしゃ》として、犯罪と差引き勘定をすることで、半面詐欺に罹《かか》ったものの迂濶《うかつ》さに対する皮肉の意味も含まれており、勝利者と敗北者への微妙な人間の心理作用でもあった。
どっちにしても寒さに向かってのことであり、猪野も神経衰弱で不眠症に陥っていたので、金と弁護士の力で、入獄は春まで延期され、彼は当分家にじっとしていたが、時も時、土地の郵便局長の公金費消の裁判事件が、新聞の社会面を賑《にぎ》わし、町も多事であった。
それらの事件をよそに、倉持はある時、どこか旅行でも思い立ったように、何かぎっちり詰まった鞄《かばん》を提《さ》げて、船で河《かわ》を下り、町に入って来た。
いつもの出先から、女中が走って来て家を覗《のぞ》き、
「寿々龍さんいるけ。」
鏡台の前で鬢《びん》をいじっていた彼女が、振り向くと、
「倉持さん来たから、早く来な。」
銀子が顔を直し、仕度《したく》をして行ってみると、薄色の間《あい》の背広を着た倉持は、大振りな赭《あか》い一閑張《いっかんばり》の卓に倚《よ》って、緊張した顔をしていたが、看《み》ると鞄が一つ床の間においてあった。縁側から畳のうえに薄い秋の西日が差し、裏町に飴屋《あめや》の太鼓の音がしていた。
「どうしたの、旅行?」
銀子がきくと、倉持はにっこりして、
「いや、そういうわけじゃないが、何だか家《うち》の形勢が変だから、僕の名義の株券を全部持ち出して来たんだ。」
「そう、どうして?」
「どうも母が感づいて、用心しだして来たらしいんだ。この間山を少しばかり売ろうと思ってちょっと分家に当たってみたところ、買わないというから、誰か買い手がないか聞いてみてくれないかと頼んでみたけれど、おいそれとすぐ買手がつくものでないから、止した方がいいだろうと言うんだ。分家の口吻《くちぶり》じゃ、渡の叔父《おじ》が先手をうって警戒網を張っているものらしいんだ。」
「それで株券を持ち出したというわけなのね。」
「叔父は肚《はら》が黒いから、おためごかしに母を手懐《てなず》けて、何をするか知れん。これを当分君に預けておくから、持って帰ってどこかへ仕舞っておいてくれ。」
「そんなもの置くとこないわ。第一家の人たちと叔父さんとなあなあかも知れないから、このごろ少し使いすぎるくらいのことを言っているかも知れないわ。」
「そんなはずはないと思うけどな。君んとこも半季々々に僕から取るものはちゃんと取っているからね。」
「何だか解《わか》んないけど、そんなもの持ち出しても仕様がないでしょう。」
十二
倉持が株券の詰まった鞄をひっさげて、そのまま帰ってから三四日も間をおいて、銀子はまた同じ家《うち》から早い口がかかり、行ってみると、女中が段梯子《だんばしご》の上がり口へ来て、そっと拇指《おやゆび》を出して見せ、倉持の母が逢《あ》って話をしてみたいと言って、待っていると言うのだった。倉持もせっかく株券を持ち出して来ても、それが売れない山と同じに先を越されて罐詰《かんづめ》になっており、下手をすれば親類合議で準禁治産という手もあり、妄動《もうどう》して叔父たちの係蹄《わな》にかからないとも限らないのであった。事情を知っている待合のお神にも、それとなく忠告され、彼もようやく考え直し、株券を元の金庫へ納めたのだったが、そのことがあってから、母もにわかにあわて出し、解決に乗り出したものだった。
ちょうどこの花柳界に、煙草屋《たばこや》
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