が、ある名門出の社会学者に片着いていたが、一人の女の子を残して急病で夭死《わかじに》し、彼女の身辺に何か寂しい影が差し、生きる気持が崩折《くずお》れがちであった。そんな折に亡夫の親類の松島が何かと相談に乗ってくれ、お茶を呑《の》みに寄っては、話相手になってくれた。松島も別に計画的にやった仕事ではなかったが、年上の彼女に附け込まれる弱点はあった。
 育ちのいい彼女は、松島には姉のような寛容さを示し、いつとはなし甘く見られるようになり、愛情も一つの取引となってしまった。
 今度も彼女は陶酔したように、うかうかと乗って、松島の最後の要求だと思えば、出してやらないわけに行かなかった。
 つまり小菊に芸者屋を出さす相談であったが、彼女も最初に首をひねり、盗人《ぬすびと》に追い銭の感じがして、ぴったり来ない感じだったが、しかしその割り切れないところは何かの惑《まど》かしがあり、好いことがそこから生まれて来るように思えた。
「……そうすれば、今までのものも全部二倍にして返すよ。」
 松島は言うのであった。彼女にも慾のあることは解《わか》っていた。

      九

 浅草ではちょうど芸者屋の出物も見つからず、小菊の主人と一直《いちなお》で朋輩《ほうばい》であった人が、この土地で一流の看板で盛っていて、売りものがあるから、おやりなさいといってくれるので、松島と小菊はそこへ渡りをつけ、その手引で店を開けることにした。
 家号|披露目《びろめ》をしてから、一日おいて自前びろめをしたのだったが、その日は二日ともマダムの常子も様子を見に来て、自分は自分で角樽《つのだる》などを祝った。湯島時代に彼女は店の用事にかこつけ、二日ばかり帰らぬ松島を迎えに行き、小菊に逢《あ》ったこともあったが、逢ってみると挨拶《あいさつ》が嫻《しと》やかなので、印象は悪くなかった。それに本人に逢ってみると、自分の気持もいくらか紛らされるような気がして、それから少したってから、三人で上野辺を散歩して、鳥鍋《とりなべ》で飯を食い、それとなし小菊の述懐を聞いたこともあった。今度も相談相手は自分であり、後見のつもりで来てみたのだった。と看《み》ると玄関の二畳にお配りものもまだいくらか残っていて、持ちにきまった箱丁《はこや》らしい男が、小菊の帯をしめていた。彼女は鬢《びん》を少し引っ詰め加減の島田に結い、小浜の黒の出の着つ
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