のお神に厭応《いやおう》なし持って行かれるというふうだったが、それでもたまには隙《ひま》を食う宵《よい》の口もあり、いやな座敷を二階へ秘密で断わることもあった。すると松島は近所で聞こえる燧火《きりび》の音に神経が苛立《いらだ》ち、とんとんと段梯子をおりて来て、
「おい、近所は忙しいぞ。お前たち用事でもつけたのなら、伝票切るんだ。」
 と呶鳴《どな》る。
 しかしその気分に憎むべきところがなく、またお株が始まったくらいで、お馴染《なじみ》が来たとき、出先でその分の伝票を切ってもらうことにしていた。抱えたちを競争させることにも妙を得ていたが、親たちの歓心を買うことにも抜目がなく、本人の借金が殖《ふ》えれば殖えるだけ、主人は儲《もう》かるので、親への仕送りを倍加するという一石二鳥の手も使うのであった。親もその手には乗りやすく、主人をひどく徳としていた。
「私のお母さんなんか、来るたびにちやほやされて、盆暮には家中めいめいにうんとお中元やお歳暮をもらうもんだから、あんな話のわかる御主人はないと言って、有難がっていたものよ。」
 銀子は言っていた。
「けど一ついいことは、月末の勘定をきちんとしてくれるんで張合いがあるんです。勘定をきちんとする主人なんてめったにありませんからね。」
 一週に一度松島は品子をつれて銀ぶらに出かけるのが恒例で、晩飯はあの辺で食うことにしていたが、彼は元来夜店のステッキと綽名《あだな》されたほどでつるりとした頭臚《あたま》に、薄い毛が少しばかり禿《は》げ残っており、それが朝の起きたてには、鼠《ねずみ》の巣のようにもじゃもじゃになっているのを、香油を振りかけ、一筋々々丁寧にそろえて、右へ左へ掻《か》き撫《な》でておくのだったが、この愛嬌《あいきょう》ある頭臚も若い女たちを使いまわすのに、かなりの役割を演じていた。しかし年が大分違うので、まだ二十《はたち》にもならないのに、品子には四十女のような小型の丸髷《まるまげ》を結わせ、手絡《てがら》もせいぜい藤色《ふじいろ》か緑で、着物も下駄《げた》の緒も、できるだけじみ[#「じみ」に傍点]なものを択《えら》んだ。彼女の指には大粒のダイヤが輝き、頭髪《あたま》にも古渡珊瑚《こわたりさんご》の赤い粒が覗《のぞ》いていた。
 子供が初めて産まれた時も、奇蹟《きせき》が現われたか、または何様の御誕生かと思うほど、年取っ
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