たちもそのつもりでいたが、ずっと後に彼の前身は洋服屋だということを言って聞かせるものもあった。しかし家柄はれっきとしたもので、この老母も桑名あたりの藩士の家に産まれただけに、手蹟《しゅせき》は見事で気性もしっかりしていた。
「松次さんには働いてもらわなくちゃ。病院の方はみんながついているから。」
銀子はそのつもりで、自動車のブロカアの連中と、暑さしのぎに銀座会館の裏から築地河岸《つきじがし》へと舟遊びに出ており、帰りの土産《みやげ》に大黒屋で佃煮《つくだに》を買い、路傍の花売娘から、パラピンにつつんだ花を三束買って、客と別れて帰って来た。そして大通りのガレイジの処《ところ》で、車をおりて仲通りへ入って来ると、以前の朋輩《ほうばい》であり、今は松の家の分け看板として、めきめき売り出して来た松栄とひょっこり出喰《でく》わし、松島の死を知った。
「あら。」
「今病院からお棺で帰って来るところよ。貴女《あなた》を方々捜したんだけど、どこへ行ったんだか、お出先でも知らないというんでしょう。」
「あら、私金扇(鳥料理)からお客と涼みに行ってたのよ。」
そのころ日比谷や池ノ畔《はた》、隅田川《すみだがわ》にも納涼大会があり、映画や演芸の屋台などで人を集め、大川の舟遊びも盛っていた。松次は看板借りであり、鳥屋で昼間からの玉数《ぎょくかず》も記入された伝票をもらうと、舟遊びはサアビスに附き合ったのだったが、さっそく分《わけ》松の家で衣裳《いしょう》を着かえ、松の家の前にならんで棺の来るのを待っていたのだった。すべての情景があまりにもあわただしく彼女もぼんやりしてしまった。
「この土地では、お弔いは千円とか千五百円とか、お金があって、少し派手好きだと、もっと盛大にやるけど、一切見番|委《まか》せで、役員たちで世話をやくんですのに、お父さんのはそんな表立ったこともしず、集まったのは懇意な人だけで、あの虚栄《みえ》っ張りに似合わない質素なものよ。」
銀子は言っていたが、死後彼女も松島の懇意筋から、後に残った若い姐《ねえ》さんと年寄を助けて、この家《うち》でもう少し働くようにとも言われ、ちょっと立場に困っていたが、近所に別居している松島の第一夫人や、中野に邸宅を構えて裕福に暮らしている故人の異腹の妹などの集まった席上で、松次の身の振り方について評議が行なわれ、とにかく三村にも安心させる
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