るのであった。それも銀子に話すと、
「果物《くだもの》は誰方《どなた》も青いうち食べるのが、お好きとみえますね。」
 銀子は笑っていたが、その経験がないとは言えず、厠《かわや》へ入って、独りでそっと憤激の熱い涙を搾《しぼ》り搾りしたものだったが、それには何か自身の心に合点《がてん》の行く理由がなくてはならぬと考え、すべてを親のためというところへ持って行くよりほかなかった。
 しかし銀子の抱えのうちには、それで反抗的になる子もあったが、傍《はた》の目で痛ましく思うほどではなく、それをいやがらない子もあり、まだ仇気《あどけ》ないお酌《しゃく》の時分から、抱え主や出先の姐《ねえ》さんたちに世話も焼かさず、自身で手際《てぎわ》よく問題を処理したお早熟《ませ》もあった。
 猿橋《えんきょう》あたりへ来ると、窓から見える山は雨が降っているらしく、模糊《もこ》として煙霧に裹《つつ》まれていたが、次第にそれが深くなって冷気が肌に迫って来た。その辺でもどうかすると、ひどく戦塵《せんじん》に汚《よご》れ窶《やつ》れた傷病兵の出迎えがあり、乗客の目を傷《いた》ましめたが、均平もこの民族の発展的な戦争を考えるごとに、まず兵士の身のうえを考える方なので、それらの人たちを見ると、つい感傷的にならないわけに行かず、おのずと頭が下がるのであった。彼は時折出征中の均一のことを憶《おも》い出し、何か祈りたいような気持になり、やりきれない感じだったが、今療養所を訪れる気持には、いくらかの気休めもあった。
 富士見へおりたのは四時ごろであった。小雨がふっていたが、駅で少し待っていると、誰かを送って来た自動車が還《かえ》って来て、それに乗ることができた。銀子はここを通過して、上諏訪《かみすわ》で宿を取ることにしてあったので、均平は独りで青嵐荘へと車を命じた。ここには名士の別荘もあり、汽車も隧道《トンネル》はすでに電化されており、時間も短いので、相当開けていることと思っていたが、降りて見て均平は失望した。もちろん途中見て来たところでは、稲の植えつけもまだ済まず、避暑客の来るには大分間があったが、それにしても、この町全体が何か寒々していた。
 青嵐荘は町筋を少し離れた処《ところ》にあった。石の門柱が立っており、足場のわるいだらだらした坂を登ると、ちょうど東京の場末の下宿屋のような、木造の一棟《ひとむね》があり、
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