て幸福になる気遣《きづか》いはありません、若い同志で好き合ったから、家へ入れよう入りましょうと、気軽に約束しても、結果は必ずまずいに決まっておりますから、家へ入ることだけは思い止まっていただきましょう。その代り、私も生木《なまき》を割《さ》くようなことはしません。貴女さえ承知なら、借金を払って、どこか一軒小さい家でも借りて、たんとのこともできませんが、月々の仕送りをしてあげましょう。」
 やっぱりそうだ! と銀子は思ったが、きっぱり断わるでもないと思って、黙って俛《うつむ》いていた。
「真吾も詳しいことは話しませんが、貴女も迹取《あとと》り娘のようなお話ですね。」
「そうですの。」
「それじゃなおさらのことです。どっちも相続人ということであれば、貴女が結婚しようと思っても、親御さんが不承知でしょう。」
 銀子もそこまで、はっきり考えていたわけではなかったが、千葉で栗栖との結婚|談《ばなし》のあった時、妹の一人に養子を取りさえすれば、自分の籍はぬけるように聞いており、相続者の責任は早く脱《の》がれたいとは考えていたのだったが、そんな世間的のことは、この際考えたくはなく、古い階級観念を超越して、あれほど約束した倉持の情熱が、どうやらぐらついて来たように思えそれが悲しかった。
「お母さんのおっしゃることは、よく解《わか》りました。お世話になるかならぬか、それはよく考えてみます。」
 銀子はきっぱり答えて、やっと母を送り出した。

      十三

 母を送り出し、銀子は帳場でちょっと挨拶《あいさつ》して帰ろうとすると、お神も女中も彼女の顔を見てへらへらと笑っているので、自分の莫迦《ばか》を笑っているのかしらと、思わず顔が赤くなった。
 ふと看《み》ると帳場つづきの薄暗いお神の居間に、今まで寝転《ねころ》んでいたらしい倉持が起きあがって咳《せき》をした。
「何だそこにいたの。いつ来たんです。」
 銀子はそう言って帳場へ坐ったが、さも退屈していたらしく、
「随分長たらしいお談義だったじゃないか。何を話してたんだい。」
「ううん別に……後で話すわ。」
 銀子は気軽に言ったが、母の柔らかい言葉のうちにひしひし胸に突き当たるものが感じられ、その場ではうかうか聴《き》き流していたが、正味をつまみあげてみると、子息《むすこ》とお前とは身分が違うとはっきり宣告されたも同様だと思われてな
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