は主人や婆《ばあ》やの目を偸《ぬす》みながら、急速度で読んで行った。
「一片のパンから、こんなことになるものかな。」
 彼女はテイマの意味もよく解《わか》らないながらに、筋だけでも興味は尽きず、ある時は寝床のなかに縮こまりながら、障子が白々するのも気づかずに読み耽《ふけ》り、四五日で読んでしまった。
「これすっかり読んでしまったわ。とても面白かったわ。」
「解った?」
「解った。」
「じゃ明日また何かもって来てやろう。」
 今度は「巌窟王《がんくつおう》」であったが、婦人公論もおいて行った。
 ある晩方銀子は婦人公論を、膝《ひざ》に載せたまま、餉台《ちゃぶだい》に突っ伏して、ぐっすり眠っていた。主人夫婦は電話で呼ばれ、訴訟上の要談で、弁護士の家《うち》へ行っており、婆《ばあ》やは在方《ざいがた》の親類に預けてある子供が病気なので、昼ごろから暇をもらって出て行き、小寿々はお座敷へ行っていた。そのころ猪野の詐欺横領事件は、大審院まで持ち込まれ、審理中であるらしく、猪野はいつも憂鬱《ゆううつ》そうに、奥の八畳に閉じ籠《こ》もり、酒ばかり呑《の》んでいた。どうもそれが却下されそうな形勢にあるということも、銀子は倉持から聞いていた。渡弁護士は倉持には父方の叔父《おじ》であり、後見人でもあった。倉持は幼い時に父に訣《わか》れ、倉持家にふさわしい出の母の手一つに育てられて来たものだったが、法律家の渡弁護士が自然、主人|歿後《ぼつご》の倉持家に重要な地位を占めることとなり、年の若い倉持にほ、ちょっと目の上の瘤《こぶ》という感じで、母が信用しすぎていはしないかと思えてならなかった。倉持家のために親切だとも思えるし、そうでもないように思えたりして、法律家であるだけに、頼もしくもあり不安でもあった。それも年を取るにつれて、金銭上のことは一切自分が見ることになり、手がけてみると、この倉持の動産不動産の大きな財産にも見通しがつき、曖昧《あいまい》な点はなさそうであったが、今までに何かされてはいなかったかという気もするのだった。

      六

「おい、おい。」
 玄関わきの廊下から、声をかけるものがあるので、寿々龍の銀子は目をさまし、振り返って見ると、それが倉持であった。
 彼は駱駝《らくだ》の将校マントにステッソンの帽を冠《かぶ》り、いつもの通り袴《はかま》を穿《は》いていた。
「あら
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