左《と》に右《かく》兄弟も親類もあることでござえますから、死骸を引取らして頂いて、一ト晩だけは通夜をしてやりとうごぜえんすと、恁う申しあげましたんです。
 それでまア、本郷の山本まで引取るなら、旗が五本に人足が十三人……山本と申すのは、晴二郎の姉の縁先きなんでして、その時の棺側が、礼帽の上等兵が四人、士官が中尉がお一人に少尉がお一人……尤も連隊から一里のあいだは、その外に旗が三本、蓮花が三本、これは其処まで落すことになっているんで……。
 その日は、それで一里のあいだ皆さんに送って頂いて、後は車に積んで元町まで持込んで来ました。
 その翌日が愈々此処で葬礼と云うことなんで、その時隊の方から見送って下さったのが三本筋に二本筋、少尉が二タ方に下副官がお一方……この下副官の方は初瀬源太郎と仰也って、晴二郎を河から引揚げて下すった方なんでござえして、何かの因縁だろうから、殊に終まで面倒を見てやれと云う連隊長からのお言葉だったもんですから、まア色々とお世話をして下すったんですよ。
 その日の骨あげには、兵士一小隊見送りに来る筈でござえしたが、これが丁度九月の二十一日で、二十五日には×××の連隊もいよいよ戦地へ出発しなくちゃならねえんで兵士を繰出している訳にいかねえで、それだけお廃《や》めになりましたがね、それでも四十人だけ手のすいてる方が、寺まで来て下すったと云う話でござえしたよ。それから此方じゃ、区長、兵事掛。兵事義会の重立ち、何でも礼服を着た方が三|方《かた》か四|方《かた》送って下すった。
 職業は瓦屋でござえんすけれど、暫らくでもお上の役を勤めていたばかりで、大層お手厚い葬礼でね。此方とらの餓鬼が、屋根から落ちて死んだって、誰方か何といって下さるものけえ。
 その日、初頼という方が、持って来た下すった香奠が、将校方から十五円、兵士一同から二十円……これは皆さんが各々の気心で下すったもので、兵士方は上官から御内意があって、一人につき二銭から三銭のがなれど、人数にすれば二十と云う金高になるといった訳で。他に兵事義会から十円……それから大将の屋敷から十円、秋山大尉の親御から五円……何でも一切で百円はござんしたろう。
 それから、確か二十三日の日でござえんしたろう、×××大将の若旦那、これはその時分の三本筋でしてね、つまり綾子さんの弟御に当るお方でさ。その方と秋山さんの親御が、区役所の兵事課へ突然車をおつけになって、小野|某《なにがし》と云う者が、田舎の何番地にいる筈だが、そこへ案内しろと仰ったそうです。兵事課じゃ、何か悪いことでもあったかと吃驚したそうでござえんすがね、何々然云う訳じゃねえ、其小野某と云う者の家に、大瀬上等兵の親御がある筈だ、その老人《としより》に逢わしてくれと云うんで、その時そのお二方は、手前とこまでお訪ね下すったが、私は外へ出ていてお目に掛りませんでした。
 お二方はそれから駒込の菩提寺をお尋ねになって、晴二郎の墓へお詣り下すったうえに、お経料までおいてお出になったそうでね。」
「お爺さんにお金が沢山下ったでしょうね。」上さんは泣出す乳呑児を揺りながら訊いた。
「一時賜金が百三十円に、年金が四十八円ずつでござえますがね。参謀本部へ、一時金を受けに行くと、そこにいた掛の方が、
『大瀬晴二郎の父親の吉兵衛と云うのあお前か』と云うんです。へえ、さようでござえんすと申しあげると、晴二郎は内地で死んだんだから、金は下げる訳にいかん、帰れ帰れと恁《こ》う云うんでしょう。
 私も為方ないから、へえ然《さ》ようでござえんすか、実は然云うお達があったもんですから出ましたような訳でと、然う云うとね、下役の方が、十二枚づつ綴じた忰の成績書をお目にかけて、何かお話をなすっていましたっけがね、それには一等一等と云うのが、何でも幾枚もあったようでしたよ。」  
「秋山大尉の方は、それ限《きり》かね。」
「秋山さん方かね。此方の揚ったのは、忰の骨揚げのすんだ翌日でしたっけがね、私も詳しいことも知らねえが、△△中の船頭を一週間買いあげて、捜したそうです。これは×××大将の方からも、入費が出たそうで……その骨揚の日には、私も寄ばれましたっけが、忰の筺《かたみ》の品を二品ほしいと仰ゃるんで、上等兵になった時の写真を二枚持ってまいりましたがね、その時の儀式と云うものが大変なもんでした。
 ××大将は戦地へ出向く連中から、電報を御覧になって引還してお出でになって、私もその時お目にかかったがね。広い書院は勲章や金モールの方で一杯だ。そこへ私にも出ろと仰ゃって下さるんだけれど、何ぼ何でも状《ざま》が状だから出る訳に行きゃしねえ。
 するとお前さん、大将が私の前までおいでなすって、お前にゃ単《たっ》た一人の子息《むすこ》じゃったそうだなと、恐入った御挨拶でござえんしょう。見れア忰の位牌を丁《ちゃん》と床の間に飾ってお膳がすえてあると云う訳なんだ。坊さんは、××大将は浄土だが、私は真言だからというので、わざわざ真言の坊さんを二人まで呼んで、忰のためにお經をあげて下すったがやすよ。
 それから、つい近年まで、法事のあるたんびに、日が同じだからと云うんで、忰の方も一緒にお供養下すって、供物がお国の方から届きましたが、私もその日になると、百目蝋燭を買って送ったり何かしたこともござえんしたよ。
 ……それで仲間の奴等時々私を揶揄《からか》いやがる。息子《むすこ》が死んでも日本が克《か》った方がいいか、日本が負けても、子息が無事でいた方が好いかなんてね。莫迦にしてやがると思って、私も忌々しいからムキになって怒るんだがね。」
 悼《いた》ましい追憶に生きている爺さんの濁ったような目にはまだ興奮の色があった。
「まるで活動写真みたようなお話ね。」上さんが、奥の間で、子供を寝かしつけていながら言い出した。
「へえ……これア飛んだ長話をしまして……。」やがて爺さんは立てていた膝を崩して柱時計を見あげた。
「私も、これからまた末の女の奴を仕上げなくちゃなんねえんだがね、金のなくなる迄にゃ、まア如何にか物になろうと思うんで……。」爺さんは然う言って、火鉢の側から離れた。
[#地より3字上がり](一九一二年二月「新潮」)



底本:「日本プロレタリア文学大系(序)」三一書房
   1955(昭和30)年3月31日初版発行    
   1961(昭和36)年6月20日第2刷
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2001年12月17日公開
青空文庫ファイル:
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