ウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで[#「てんで」に傍点]、どんな花だか見当さえつかなかつた。
といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。
『ようし、勇敢にやつちまへ。』
と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさ[#「とつさ」に傍点]に創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこ[#「へんてこ」に傍点]な花であつた。
『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』
と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけ[#「あつけ」に傍点]にとられた顔つきでそれを受けとると、
『うふゝ。』
『うふゝ。』
と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。
そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら/\車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか/\店の中へはいつて行つた。そして、
『チユウリツプはあるかい?』
ときいた。
『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。
『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』
と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。
さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。
三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、
『あら、チユウリツプがあるわ。』
と、急いで店の前へ寄つて来た。
『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』
と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』
とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、
『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。
『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』
狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。
『でもわるいわ……。』
『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。
『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』
女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、
『ありやあお前、あつち[#「あつち」に傍点]のチユウリツプなんだよ。』と、けろり[#「けろり」に傍点]としてゐた。
その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら[#「あちら」に傍点]的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。
底本:「日本の名随筆 別巻7 奇術」作品社
1991(平成3)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「奇術随筆」人文書院
1936(昭和11)年5月
入力:葵
校正:篠原陽子
2001年3月22日公開
2005年11月17日修正
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