云うので、それにする事に致しました。一体雑司ケ谷はへルンが好んで参りましたところでした。私によいところへ連れて行くと申しまして、子供と一緒に雑司ケ谷へつれて参った事もございました。面影橋と云う橋の名はどうして出たかと聞かれた事もございました。鬼子母神の辺を散歩して、鳥の声がよいがどう思うかなどと度々申しました。関口から雑司ケ谷にかけて、大層よいところだが、もう二十年も若ければこの山の上に、家をたてて住んで見たいが残念だ、などと申した事もございました。
 表門を作り直すために、亡くなる二週間程前に二人で方々の門を参考に見ながら雑司ケ谷辺を散歩を致したのが二人で外出した最後でございました。その門は亡くなる二日前程から取りかかりまして亡くなってから葬式の間に合うように急いで造らせました。



底本:「小泉八雲全集 別冊」第一書房
   1927(昭和2)年12月20日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。ただし、聞書きを元にした底本の特徴を生かすために、繰り返し記号はそのまま用いました。
※「或」は「あ(る)」に、
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