皆何かへルンの死ぬ知らせであったような気が致しまして、これを思うと、今も悲しさにたえません。
 午後には満洲軍の藤崎さんに書物を送って上げたいが何がよかろう、と書斎の本棚をさがしたりして、最後に藤崎さんへ手紙を一通書きました。夕食をたべました時には常よりも機嫌がよく、常談など云いながら大笑など致していました。『パパ、グッドパパ』『スウイト・チキン』と申し合って、子供等と別れて、いつのように書斎の廊下を散歩していましたが、小一時間程して私の側に淋しそうな顔して参りまして、小さい声で『ママさん、先日の病気また帰りました』と申しました。私は一緒に参りました。暫らくの間、胸に手をあてて、室内を歩いていましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かに横にならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないように、口のほとりに少し笑を含んで居りました。天命ならば致し方もありませんが、少しく長く看病をしたりして、愈々《いよいよ》駄目とあきらめのつくまで、いてほしかったと思います。余りあっけのない死に方だと今に思われます。

 落合橋を渡って新井の薬師の辺までよく一緒に散歩を
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