ある日その人その書物を返しに参りました。大きい料理屋に案内しました。そして大層御馳走しました。しかし誰でしたか、私今に知らないです』と話した事がありました。
 煙草に火をつける時マッチをすりましたら、どんな拍子でしたかマッチ箱にぼっと燃えついたそうです。床は綺麗なカーペットになっていたので、それを痛めるのは気の毒だと思いまして、下に落さぬようにして手でもみ消したそうでございました。そのために火傷いたしまして、長く包帯して不自由がっていた事がございました。

 ヘルンの好きな物をくりかえして、列べて申しますと、西、夕焼、夏、海、游泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱などでございました。場所では、マルティニークと松江、美保の関、日御崎、それから焼津、食物や嗜好品ではビステキとプラムプーデン、と煙草。嫌いな物は、うそつき、弱いもの苛め、フロックコートやワイシャツ、ニユ・ヨーク、その外色々ありました。先ず書斎で浴衣を着て、静かに蝉の声を聞いて居る事などは、楽みの一つでございました。

 三十七年九月十九日の午後三時頃、私が書斎に参りますと、胸に手をあてて静かにあちこち歩いていますから
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