ました。
晩年には健康が衰えたと申していましたが、淋しそうに大層私を力に致しまして、私が外出する事がありますと、丸で赤坊の母を慕うように帰るのを大層待って居るのです。私の跫音を聞きますと、ママさんですかと常談など云って大喜びでございました。少しおくれますと車が覆ったのであるまいか、途中で何か災難でもなかったかと心配したと申して居りました。
抱車夫を入れます時に『あの男おかみさん可愛がりますか』と尋ねます。『そうです』と申しますと『それなら、よい』と申すのです。
ある方をへルンは大層賞めていましたが、この方がいつも奥様にこわい顔を見せて居られる。これが一つ気にかかると申していました。
亡くなる少し前に、ある名高い方から会見を申しこまれていましたが、この方と同姓の方で、英国で大層ある婦人に対して薄情なような行があったとか申す噂の方がありましたのでヘルンはその方かと存じまして断ろうと致して居りました。しかし、それは人違いであった事が分りまして、愈々《いよいよ》遇う事になっていましたが、それは果さずに亡くなりました。凡て女とか子供とか云う弱い者に対してひどい事をする事を何よりも怒りま
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