た。
奈良漬の事をよく『由良』と申しました。これは二十四年の旅の時、由良で喰べた奈良漬が大層旨しかったので、それから奈良漬の事を由良と申していました。
熊本を出まして、これから関西から隠岐などを旅行しようとする時です。九州鉄道のどの停車場でございましたか、汽車が行き違いに着きまして、四五分、互いに止まりました時に、向うの汽車の窓から私共を見た男の眼が非常に恐ろしい凄い眼でした。『あゝえらい眼だ』と思って居ると、私共の汽車は走ってしまったのですが『今の眼を見ましたか』とへルンは申しました。『汽車の男の眼』と云う事を後まで話しました。
角力は松江で見ました。谷の音が大関で参りました。西洋のより面白いと申していたようでした。谷の音という言棄はよく後まで出まして、肥ったという代りに『谷の音』と申すのでございます。
芝居はアメリカで新聞記者をして居る時分に毎日のように見物したと申していました。有名な役者は皆お友達で交際し、楽屋にも自由に出入したので、芝居の事を学問したと申していました。日本では芝居を見たのは僅か二度しかないのです。それは松江と京都で、ほんのちょっとでした。長い間人込みの
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