、ですから世界むごいです、なぜ悪き人に悪き病気参りません』東京に参りましても、この方の病気を大層気にしていました。西田さんは、明治三十年三月十五日に亡くなられました。亡くなった後までも『今日途中で、西田さんの後姿見ました、私の車急がせました、あの人、西田さんそっくりでした』などと話した事があります。似ていたのでなつかしかったと云っていました。早稲田大学に参りました時、高田さんが、どこか西田さんに似て居ると云って、大層喜んでいました。
この時の知事は籠手田さんでした。熱心な国粋保存家と云う事でした。ゆったりした御大名のような方で、撃剣が御上手でした。この時には色々と武士道の嗜みとも申すべき物が復興されまして、撃剣とか鎗とかの仕合だの、昔風の競馬だの行われまして、士族の老人などは昔を思い出すと云って、喜んでいました。この籠手田さんからも、大層優待されまして、凡てこんな会へは第一に招待されました。
へルンは見る物聞く物凡て新らしい事ばかりですから、一々深く興に入りまして、何でも書き留めて置くのが、楽しみでした。中学でも師範でも、生徒さんや職員方から、好かれますし、土地の新聞もへルンの話な
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