」]、何か考えて居るようです。それから『昨夜大層珍らしい夢を見ました』と話しました。私共は、いつも御互に夢話を致しました。『どんな夢でしたか』と尋ねますと『大層遠い、遠い旅をしました。今ここにこうして煙草をふかしています。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中』などと申して居るのです。『西洋でもない、日本でもない、珍らしいところでした』と云って、独りで面白がっていました。
 三人の子供達は、床につきます前に、必ず『パパ、グッドナイト、プレザント、ドリーム』と申します。パパは『ザ、セーム、トウ、ユー』又は日本語で『よき夢見ましょう』と申すのが例でした。
 この朝です、一雄が学校へ参ります前に、側に参りまして『グッド、モーニング』と申しますと、パパは『プレザント、ドリーム』と答えましたので、一雄もつい『ザ、セーム、トウ、ユー』と申したそうです。
 この日の午前十一時でした。廊下をあちこち散歩して居まして、書院の床に掛けてある絵をのぞいて見ました。これは『朝日』と申します題で、海岸の景色で、沢山の鳥が起きて飛んで行くところが描いてありまして夢のような絵でした。ヘルンは『美しい景色、私このようなところに生きる、好みます』と心を留めていました。
 掛物をよく買いましたが、自分からこれを掛けてくれあれを掛けよ、とは申しませんでした。ただ私が、折々掛けかえて置きますのを見て、楽しんでいました。御客様のようになって、見たりなどして喜びました。地味な趣味の人であったと思います。御茶も好きで喜んで頂きました。私が致していますと、よく御客様になりました。一々細かな儀式は致しませんでしたが、大体の心はよく存じて無理は致しませんでした。
 ヘルンは虫の音を聞く事が好きでした。この秋、松虫を飼っていました。九月の末の事ですから、松虫が夕方近く切れ切れに、少し声を枯らして鳴いていますのが、いつになく物哀れに感じさせました。私は『あの音を何と聞きますか』と、ヘルンに尋ねますと『あの小さい虫、よき音して、鳴いてくれました。私なんぼ喜びました。しかし、段々寒くなって来ました。知っていますか、知っていませんか、直に死なねばならぬと云う事を。気の毒ですね、可哀相な虫』と淋しそうに申しまして『この頃の温い日に、草むらの中にそっと放してやりましょう』と私共は約束致しました。
 桜の花の返り咲き、長い旅の夢、松虫は
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