いて話し、泣いて聴いて、書いたのでした。
『神国日本』では大層骨を折りました。『此書物は私を殺します』と申しました。『こんなに早く、こんな大きな書物を書く事は容易ではありません。手伝う人もなしに、これだけの事をするのは、自分ながら恐ろしい事です』などと申しました。これは大学を止めてからの仕事でした。ヘルンは大学を止められたのを非常に不快に思っていました。非常に冷遇されたと思っていました。普通の人に何でもない事でも、ヘルンは深く思い込む人ですから、感じたのでございます。大学には永くいたいと云う考は勿論ございませんでした。あれだけの時間出ていては書く時間がないので困ると、いつも申していましたから、大学を止められたと云う事でなく、止められる時の仕打ちがひどいと云うのでございました。只一片の通知だけで解約をしたのがひどいと申すのでございました。
原稿がすっかりでき上りますと大喜びで固く包みまして(固く包む事が自慢でございました。板など入れて、ちゃんと石のようにして置くのです)表書を綺麗に書きまして、それを配達証明の書留で送らせました。校正を見て、電報で『宜しい』と返事をしてから二三日の後亡くなりました。この書物の出版は、余程待ちかねて、死ぬ少し前に、『今あの「神国日本」の活字を組む音がカチカチと聞えます』と云って、でき上るのを楽しみにしていましたが、それを見ずに、亡くなりましたのはかえすがえす残念でございます。
ペンを取って書いています時は、眼を紙につけて、えらい勢でございます。こんな時には呼んでも分りませんし、何があっても少しも他には動きませんでした。あのような神経の鋭い人でありながら、全く無頓着で感じない時があるのです。
ある夜十一時頃に、階段の戸を開けると、ひどい油煙の臭が致します。驚いてふすまを開けますと、ランプの心が多く出て居て、ぽっぽっと黒煙が立ち上って、室内が煙で暗くなっています。息ができぬようですのに、知らないで一所懸命に書いて居るのです。私は急いで障子を明け放って、空気を入れなどして、『パパさん、あなたランプに火が入って居るのを知らないで、あぶないでしたねー』と注意しますと『あゝ、私なんぼ馬鹿でしたねー』と申しました。それで常には鼻の神経は鋭い人でした。
『パパ、カムダウン、サッパー、イズ、レディ』と三人の子供が上り段のところから、声を揃えて案内
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