わ》んや物質が全部であつて精神文化は閑却してもよい等とは主張しないのである。
 ところが文學者、藝術家はこの點に於て美妙な、誘惑的な曲解を行い、唯物史觀は精神文化を破壞するものだという。それは中世紀の坊主が地動説は神に對する冒涜であると批難し、近世の宗教家が進化論は聖書に悖《もと》ると批難したのと同斷である。進化論によつて人間の祖先が動物であるということが證明されたら人間の戀愛も道徳も審美感も成立しないだろうか? 吾々は大抵原始時代の人間と動物との距離がごく近いことを知つている。併しながら戀愛もすれば、審美感も動く。
 それと同じく人間の歴史が物質的條件によつて決定されるという事實があつても精神文化は依然として吾々の最も尊重しなければならぬものなのだ。唯物史觀を信ずる人は精神文化を閑却するどころか却つてこれを尊重する。だから資本主義によりて樹立された今日の文化の代りにもつと上等な文化を實現しようとする。その爲めにその支柱となつている物質條件を變えようとするのである。ところが「現代文化」の支持者達は資本主義文化を、物質的條件には無關係な永遠の文化だと思つてこれに反對するのだ。唯物史觀は文化そのものに挑戰したことはない。ただ唯物史觀を理論的背景とする社會主義はある特定の生産條件の上に樹立された文化に挑戰するだけである。

       六

 けれども「現代文明」の支持者達は尚《な》おひるまない。文化は永遠であつて決して物的條件の爲めに變化しないという。人間は太古から今日まで同じ人間であつて少しも變化しなかつたという意味に於てなら僕も藝術や文化の永遠を信じる。併しそれは歴史の否定であつて、歴史を否定する限り歴史觀たる唯物史觀は當然消滅して問題は殘らないわけだ。唯物史觀は歴史を肯定してその一の觀方、研究法としてのみ意味をもつのである。最もわかりやすい例で言えば昨今しきりに問題になつている映畫藝術は決して觀念から生れたものでなくて、或る時代に活動寫眞が發明された爲めに生じたものである。もつと精神的な問題について言えば尊王討幕という思想は幕府の横暴、皇室の式微という當時の社會條件があつて生じ、自由民權の思想は人民の權利が壓制されていたという特殊の物的條件によつて生じたのである。而してこれ等の社會條件は最後にこれを物的或は經濟的條件に還元することができるのである。
 最後に文學藝術の方面から唯物史觀に對してあげられる反對の叫びの中には唯物史觀は文學的氣分乃至は情操にぴつたりあわないという理由からこれを排斥しようとするのがある。こんな亂暴な言い分がとおるなら、數學は藝術を否定せねばなるまい。文學は物理學を否定せねばなるまい。併し事實吾々は二二が四という數學の原理を信じつつ熱烈に愛しあうことが出來ると同じように、唯物史觀を信じつつ藝術を創作し鑑賞することが出來るのである。ただ凡俗なセンチメンタリズムが文學の名に於て歴史の事實を朦朧化し、二十世紀の現代に眼を閉じさして民衆を昔し昔しのお伽噺《とぎばなし》につれてゆこうとする時、唯物史觀は儼然《げんぜん》たる事實を示す必要があるのである。
 繰り返して言うが唯物史觀は文化に挑戰するものでも、これを蔑視するものでもない。けれども歴史とその必然を信ずるが故に永遠に藉口《しやこう》して「歴史的一時的」の文化を擁護する守舊派に挑戰する。唯物史觀は形而上學でないから物資が萬能だとは言わない。歴史は物的條件によつて變化するというだけである。快感が起つてからピアノの音がするのでなくてピアノの音がしたから快感が起つたというまでだ。
 併しながらこの簡單な眞理から生ずる結論は重大だ。物的條件が精神文化を決定し階級對立が文化の上に階級的偏見を印するということから必然に、文化から階級的偏見を取り除くためには階級對立を先ず廢止しなければならぬという結論が生れる。過渡期に於ては生産關係に革命的要素が増大すると同じく、その一意識形態なる文學にも革命的要素を増大して來るのである。
[#21字下げ、地より2字あきで](大正十年十二月)



底本:「日本現代文學全集69 プロレタリア文學集」講談社
   1969(昭和44)年1月19日初版発行
入力:田中亨吾
校正:大野裕
2000年11月10日公開
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