める社會的生産關係に他ならぬことも疑問の餘地がない。文學と唯物史觀との關係はそこに潜んでいる。ところが小ブルジョア的「思想家」達は昔も今もこの明白な事實を受け入れない。
唯物史觀は今や中間階級的アイデオロジストの批難の的となつている。しかし多くの新しい學説がそうであつた如く、而して唯物史觀が七十餘年前にそうであつた如く、甚だしい、誤解、曲解、通俗化、脱骨、中傷の犧牲となつている。
唯物史觀の如き時代|後《おく》れの淺薄な學説に從うのは學者文人の恥辱であるとして、「現代文化」の支持者達は雄々しくも唯物史觀征伐の十字軍を起して來た。そうして彼等はこん度も亦易々と唯物史觀の首級をあげて凱旋したのである。嗚呼《ああ》しかしながら、その首級は正眞まぎれもない唯物史觀のそれであつたか? 否それは彼等のイリュージョンであつた。彼等自身がこしらえた唯物史觀の模型であつた。どうしてそんなことが生じたか?
二
近世の自然科學は丁度唯物史觀と同じ運命を經て來た。宗教家、神學者、倫理學者、哲學者、文學者等は、自然科學誕生の前後に於て甚しい恐慌を來した。そうして次には結束して此の幼兒を虐殺しようとした。權威ある故人をしてこれを語らしめよ。リッチー教授は言う。
「科學概念の變化に對する干渉は、人間の精神を重んずる人々によりて從來たえず行われた過失である。かかる干渉は常に當時勃興しつつあつた科學の爲に棄てられた中途半端な科學的學説の支持者の敗北に終つた。神學はガリレオに干渉したが、其干渉に依て何等得る所がなかつた。天文學、地質學、生物學、人類學、歴史學等は屡※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、287−下−13]《しばしば》、物質的人間説を恐れている人々の心を震駭《しんがい》させた。彼等はダーウィン説とラマルク説の相違等をもつけの幸として新學説と戰おうとした。恰《あたか》も人類の精神的幸福が十七世紀若しくはそれ以前の科學的信仰と密接不離の關係があるかのように……」(Prof. Ritchie, Philosophical Studies)
これは丁度マルキシズム、サンジカリズム、アナーキズム等に依て唯物史觀に對する解釋を異にしているどさくさ紛れに十八世紀乃至十七世紀の科學前派のヒューマニズムを持出して、鐵と石炭と電氣とに依て動かされている近世産業問題を解決させよ
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