。だからその運動は觀念の一起一伏でけりがつくものではない。それは長期にわたる、あまり華々しくない、しかも困難に滿ちた運動である。萬人歡呼の裡《うち》に決勝戰に入るマラソン競走ではなくて、雪と險路と窮乏と寒氣とのシベリヤ旅行のようなものである。そしてマラソン競走のように勝つても褒美が貰えるわけではなく、途中で行き倒れるかも知れない運動である。その報酬はただ無産階級の解放があるのみだ。この困難に辟易《へきえき》し、この忍耐に怖じけづく人々は、プロレタリヤ文藝運動の行列を去つて、紅白の幔幕《まんまく》でめぐらした運動會場に赴くがいい。そこにはすぐに喝采してくれる群集がいる。おまけに子女もいる。
 プロレタリヤ文藝運動は氣質や趣味で決せられるものではない。況《いわ》んや一時の醉興で、これにまじらるべきものではない。前途は險難だ。光明の此方に闇黒と茨《いばら》と鐵條網がある。しかもあまり榮えない運動だ。決勝力をもたない、一種の補助運動、牽制運動と言つてもいい位だ。この運動にたずさわる人はあまりに自己の役割を過大視してはならない。
 しかし大衆運動の一成員、壓迫されたものの運動の一員として、たとい隅つこの一部分でも、或は前衞隊の一員でもを分擔することは光輝あることではないか。特に後者たり得るならばこれ以上生き甲斐のある仕事はまたとないではないか。  
[#21字下げ、地より2字あきで](大正十一年六月)



底本:「日本現代文學全集69 プロレタリア文學集」講談社
   1969(昭和44)年1月19日初版発行
入力:田中亨吾
校正:大野裕
2000年11月10日公開
青空文庫作成ファイル:
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