`文学の理性(raison)と自然主義文学の冷静(〔impassibilite'〕)との間には少なからぬ類似があるといはれよう。此の信条を作品にあらはしたものが、近代文学の傑作の一つとして光輝を放つてゐる『ボヴアリイ夫人』である。これは、正に、作者は作中の人物に同情したり、心を動かしたりしないで、鏡のやうにこれをあるがまゝに写さねばならぬといふ彼の理論を具体化した傑作である。
けれども、ランソンが言ふやうにフロオベルはまだ芸術家であつた。ところが、ゾラに至つては科学者であり、自らも科学者をもつて任じてゐた。彼にとつては、小説は、他の精密科学と同様に法則科学となるべきものであつた。彼は人間の社会生活は、これを構成してゐる個人の心理現象に分析し得るとし、心理現象は生理学により、生理現象は物理化学によりて説明し得るものと考へた。そして、遺伝、環境等の作用を重要視する必要を力説した。『ルウゴン・マツカール叢書』即ち『第二帝制治下に於ける一家族の自然史』は、彼の抱負を実現しようとした近代文学の記念塔であると言へるであらう。
自然主義文学の主張を、最も組織的に、体系的に大成した人はテエヌである。ゾラが自然主義小説を『実験小説』と呼んだやうに、テエヌは自然主義の芸術論を『実験美学』と呼んだ。彼は古い美学と実験美学との相異を次のやうに言ひあらはしてゐる。
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『古い美学は、先づ第一に美の定義を与へ、美とは道徳的理想の表現であるとか、美とは不可見のものゝ表現であるとか、美とは人間のパツシヨンの表現であるとか述べ、そしてこれを、法律の条文のやうに祭りあげて、それから出発して、或る作品を容《ゆる》したり、罰したり、戒めたり、指導したりしたのである。……私がこれから試みんとする近代的方法は、人間の作物、特に芸術作品を、事実若しくは製作物と見なして、その特色を指摘し、如何にしてかゝる特色が生じたかを研究するに過ぎない。それはゆるしたり、禁じたりはしない。たゞ認証し、説明するだけである。』
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これでわかるやうに、自然主義文学の理論、方法は、自然科学のそれと正確に同じであるといはねばならぬ。
結語
以上に略述したところによつて、私の試みはほゞ読者にわかつたらうと思ふ。
私は文学は科学的に、方法的に研究し得ることを前提として、
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