ることを意味するものではない。そして私によれば芸術は、決してかゝる機能、役割をはたし得ないものである。
 文学運動はどれ程進出しても、それが社会に及ぼす機能には一定の限界がある。その限界を突破するとき、もはやそれは文学運動と言ふことはできない。勿論文学者は文学運動だけに止まつて居らねばならぬ理由は毫もないのだから、文学者が同時に科学的理論の体系をつくることに努力したり、文学者が政治運動に投じたりすることは差支へはない。けれども、文学者が文学理論、若しくは社会理論の領域に踏み入つたこと、若しくは文学者が政治運動に加入したことを、直ちに文学運動の進出と解することの可否は甚だ疑問である。のみならず、かゝる進出の理論的基礎が「文芸戦線」の社説の場合のやうに、芸術と科学との混淆、芸術をそれと全く職能を異にした科学の領域内へ侵入せしめること、芸術に不可能な役割をおしつけることであるときには、かゝる進出は純然たる幻想である。
 芸術、文学が、意識を体系化したものであり、大衆の意識を組織化するものであるといふが如きは、科学と政治とを芸術の中へ戯画化するものであり、科学と政治とにかへるに、玩具の科学と玩
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