の水に葡萄酒をたらして着色しただけのもんだ」

 その翌朝村木博士は鎌倉の実験室の中で、屍体となって発見された。モルヒネ自殺であった。
「私はどうしても貴女と離れることができませんでした。それと同時に私は妻子とはなれることもできませんでした。私は世間なみの紳士としての対面と、夫として父としての義務とをはたしつつ、しかも貴女との愛を永久につづける手段を考えました。それがあの雑司ヶ谷の実験室での生活でした。しかし貴女が妊娠されたことを知ったとき、その露覚をふせぐために更に大胆な第二段の手段に訴えねばなりませんでした。人造人間の実験がそれであります。昨日は貴女に麻酔薬を用いて、老婆に頼んで、愛児を講演会場につれてゆきました。どうにか会場ではごまかすことができましたが、私の良心をごまかすことは遂にできません。世間を欺き、家庭を欺き、学問を冒涜し、最後に、恋人をすら欺かなければならなかった不徳漢にとって、残された道は死あるのみです。子供のことはよろしく御願いします」
 房子は博士の遺書を抱いて産褥の上にいつまでもいつまでも泣きくずれたのであった。



底本:「世界SF全集 第34巻 日本のSF(短篇集)古典篇」早川書房
   1971(昭和46)年4月初版発行
   1976(昭和51)年7月15日再版発行
初出:「新青年」
   1928(昭和3)年4月号
入力:田中亨吾
校正:土屋隆
2002年1月21日公開
青空文庫作成ファイル:
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