もつて行われねばならないことになる。だが藝術評價の尺度が觀音様の手のように澤山あるということは、藝術作品の評價が不可能だということとかわりがない。
 これに反して、マルクス主義者は、政治的尺度によりて藝術作品の對社會、對大衆的效果を評價するのであるとすれば、この問題は至極簡單明瞭に解ける。これは政策論である。だが、人類の幸福のための政策論を、藝術の名によつて拒むことはできない。
 これを要するに、マルクス主義藝術運動は、藝術に關する定義の塗りかえや、藝術的價値と政治的價値との機械的混合によりて行われるわけには決してゆかない。それは飽くまでも政治のヘゲモニイのもとに行われる運動であり[#「であり」は底本では「でり」と誤植]、政治によりて藝術を支配する運動である。この關係は政治と藝術との辨證法的統一というようなあいまいな言葉で説明してうつちやつておくべきものではない。先ず一應兩者を區別し、それを當然そうであるべき關係におかねばならぬ。
 從つて、マルクス主義文學は――少なくもプロレタリアの勝利のために貢獻するという意味に於けるマルクス主義文學は――一定の時期において、その特殊性を自然に失つ
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