あらう。
芸術でなく、わかりやすいために大砲を考へて見よう。大砲の価値は社会的価値であるとする勝本、大宅氏等の考へ方は、それだけでは正しい。だが、大砲の価値が、政治的価値であるとか、階級的価値であるとかいふことは何を意味するか。大砲の価値を生ぜしめるものは、その破壊力である。(芸術の価値を生ぜしめるものが人と人とを感情的に結合する等々にあるが如く)この価値は、ブルジヨアの武器として用ひられる時と、プロレタリアの武器として用ゐられる時とでは目的がちがふ。だが両者ともに大砲の破壊力を利用するので、それがなくなつてしまへば、ブルジヨアにもプロレタリアにも大砲としての価値は消滅する。階級によつてかはるのは大砲の筒先の方向だけである。芸術も同様に、階級によつて、異つた方向への歪みを受ける。だが精巧な大砲はどの階級が用ゐても強力な武器となるやうに、すぐれた芸術作品はどの階級から生産されても有力な効果をもつ。芸術の価値を政治的価値乃至階級的価値にのみ局限するのは、社会的価値としての芸術価値をも拒むことになり、階級といふものが、魔法使のやうに凡てのものに価値を与へたり、とりあげたりすることを許すことになる。マルクス主義は社会に階級を発見した。それは不朽の功績であつた。だが川口氏の階級のやうな不思議な力をもつた階級を発見した名誉は川口氏自身がほしいまゝにすべきものであらう。
古今の芸術の傑作がすべて芸術性[#「芸術性」に傍点]をもつに拘らず芸術的価値をもたないといふ説は蔵原、勝本説を祖述するもので、そのソフイズム的性質は既に私が証明したところのものである。
だが、つけ加へてこゝで言つておくが、これ等の諸君が、芸術的価値といふ言葉そのものがどうしても気にくはぬといふなら、私は芸術性といふ言葉とかへてもよい。この芸術性はマルクス主義文学の作品にも然らざる作品にも共通したものであることは、之等の諸君が挙つて認めてをるものであり、この芸術性が芸術を芸術たらしめてゐるものであることも亦、以上の諸君にひとしく認められてゐる。しからばこの芸術性の大小、強弱、濃淡によつて、その芸術の価値[#「価値」に傍点]がはかられるのは当然ではないか。
川口氏は私のやうな議論は「無用な混乱をひき起す危険をもつてゐる」と言はれる。だが、氏の頭の中に矛盾のまゝでそつとしまつてある観念に、一度混乱を惹き起させることは、氏自身の頭脳の整理のために必要なことだ。
「問題の後戻りは運動の実践にとつては不利益だ」と川口氏は言はれる。だが問題を矛盾のまゝに残し、何一つ整理しないで頭の中へごちやごちやに詰めこんで、先へ/\とパツスしてゆくのは更に不利益だ。マルクスは川口氏とは反対に、プロレタリアの闘争は、一進一退、進んだかと思ふと又退き、征服したものを更に征服しなほさねばならぬ、非常な忍耐を要する闘争だと言つてゐる。
青野季吉氏はつい二年前に、「コンミユニストの文学観はたしかにまだ組織されてゐない、……プロレタリアの文学観の建設は今日、世界の共同の仕事なのである。……そんなわけでマルクス主義の文学観を示せと言はれたつて、私たちは何の恥づるところも無く、そんなものゝ持ち合せはありませぬと率直に、ぶつきら棒に答へるより外はないのである」(新潮、昭和二年五月号所載「マルクス主義文学観について」)と言つてゐる。二年の間にそれ程事情が変つたと思はない私は、今もなほ青野氏のこの言葉は大部分真実であると思ふ。だから私は外の理由でなら兎も角、川口氏の粗雑極まる芸術論を支持しないからといふ理由で、「彼は非マルクス主義的な泥沼に片足を踏みこんだことになる」と決定されることは少々不服なのである。相手の議論をよく理解もしないで、自己の理論を何等整理もしないで、少し勝手のかはつた理論にぶつゝかると、彼は非マルクス主義者だといふ目つぶしを投げるのは、たとひその人がマルクス主義者であつても、卑怯なマルクス主義であることを示す。[#地から1字上げ](昭和四年八月「新潮」)
附記、 この他、青木壮一郎、細田民樹、谷川徹三、安田義一諸氏の主張を検討するつもりだつたが既に許された紙面を超過したし、大体以上の答への中に谷川氏を除く諸氏への解答は含まれてゐると思ふから、これで一先づこの論稿を終ることにする。谷川氏は私よりもはつきりと私と同じ問題の提出のしかたをして、ちがつた結論に到達されたゞけに過ぎない。
底本:「平林初之輔文藝評論全集 上巻」文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日発行
入力:田中亨吾
校正:松永正敏
2004年5月31日作成
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