の家庭の一員に加えらるべき子供のことであった。彼はそれを男の児として考えて見る。丸々と肥った健康のシンボルのような嬰児はいつのまにか水兵服をつけた五つ六つの年頃にかわる。妻と二人で両方から手をひいて動物園へつれてゆく。何でもすきな玩具《おもちゃ》を買ってやる。やがて中学の制服を着た姿にかわる。学科も優等でなくちゃいかん。スポーツは野球がよいかな……次には女の児として想像して見る。洋服にしようか、和服が似合うかな。名前は何とつけよう? いや名前などは今から考えちゃいかん。その時のインスピレーションにまかせておかなくちゃ。顔は母に似て丸ぽちゃに相違ない。女学校はどこへ入れようかな。成長《おおき》くなったら音楽家にしようか、それとも画家がよいか知らん。画は日本画と西洋画とどちらがよいか知らんて。琴や生花を仕込んで純粋な日本娘風にしつけるのもわるくはないな……空想の泉は、空から湧いて来る雪と無限を競《あらそ》うて、それからそれへとはてしがない。

     三、奇禍

 読者諸君、私は、ここで、厳正な第三者として一言述べておきたいことがある。今村のような環境に生き、今村のような人生観をもっている人生の行路者は果して幸福であろうか? 私は即座に否と答えるに躊躇しないのである。何となれば、彼の頭の中にえがかれている人生と現実の人生との間にはあまりにも残酷な溝渠《こうきょ》が穿《うが》たれている。少くも今日の世の中では今村のような人間の存在そのものが甚だ不自然である。人間社会に行われている自然淘汰は、彼のような病的な存在を長く許しておく筈がないのである。今の社会に生きてゆくためには、もう少し悪ずれのしていることが絶対に必要である。今村のような人間は、人間社会を支配している機械の歯車の中へ不用意に飛びこんだ蝿のようなもので、それが圧《お》しつぶされてしまうのは自然でもあり、必然でもあるので、それを今更ら悲しんだり同情したりするのはもう遅過ぎるのである。これから私が語ろうとするエピソード、即ち彼が社会の歯車でおしつぶされた次第は、多少不自然のきらいがないでもないが、決して珍らしいことではなく、こういう人間に必らずふりかかって来る運命なのだ。もっと目立たない形で、人間の社会にざらに行われている平凡な現象の一つの要約《レジュメ》と言えば言える位なものに過ぎないのだ。蛇足のようであるがこれ
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