、太い掛樋《かけひ》で山から引いて来てある水で顔を洗い、全身を拭うと、冷かな山気が肌に迫る。仰ぎ見ると、紺青の濃い空の色が、四方に立ち込んでいる山々の頂きに垂れかかって、朝日は流れの向う側の、松山の一面を赤く照らしている。
今日は久振《ひさしぶ》りで市街のある所へ出られる。三、四日山の中ばかり歩いていたので、人家のある所が懐しい。今日は益田川の岸を下って高山の町へ這入るのだ。
日の光は次第に広く、峰から森、狭い谿、深い渓流の上までも射し込んで、目に入るものは皆透き通る位に鮮《あざや》かだ。山の下の細径は谿の上を繞り繞って行く。
西洞から三里ばかり下りると、浅井という村へ出た、信濃から来る県道|野麦街道《のむぎかいどう》は道幅が広く、電柱が遠く立ち並んでいる。久振りで知人に逢ったような気がした。
見座という村を通って、郡上根という小さな峠を越す。眼界がやや開けて稲田のつづいているのが目に這入る、この稲田のつづく果てに高山の町が立っているのだろう。ゴチャゴチャと不規則に立ち塞《ふさ》がっている山が次第に四方へ片づいて、人の住むべき地歩を少しばかり譲っているような気がする。
峠を越して四里高山の町の白壁が遠くに見え出して来た。寺の鐘楼《しょうろう》が高く家々の上に聳《そび》えている。町の響も聞えて来るような気がする。――私は少年の時分、私の家の隠居家に来ていた婆さんのことを思い出だした。信濃へはよく飛騨女が流れて這入って来た、飛騨女は皆色が白く、顔立ちが調《ととの》っている。私の郷里に近い町には廓《くるわ》があって、その廓へは飛騨女が多く来ていた。その婆さんもその廓へ来ていたのが、年老《としと》ってから私の家の隠居家へ雇われていたのであった。暇さえあれば高山の町の話をして聞かせた。照蓮寺の御堂、高山八幡の宮とか、私の胸へは婆さんから聞かせられた幼時の記憶が次第に浮んで来た――物語の国へでも這入って行くような思いがする。
町の入口何処の田舎の町へ行って見てもそうだが、狭い道の両側の家の屋根は低く何処か黒いような影が伴っているようで、荷車、馬、子供、犬などが忙しそうにしているが、妙に寂しい、そして一種の懐しい旅情を覚えさせるものだ。
高山の町は思ったよりも整然と調った這入る者の気を引しまらせるような、生気の充ち充ちた町である。真中に川が流れていて、その川に沿って
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