霧の旅
吉江喬松
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)北國《ほくこく》街道の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)智將|宇佐美貞行《うさみさだゆき》が
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぼた/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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北國《ほくこく》街道の上には夏草がのびてゐた。
柏原《かしはばら》から野尻湖まで一里ばかりの間、朝霧が深くかゝつてゐて、路上の草には露が重かつた。汽車をおりて初めて大地を踏んで行く草鞋の心持、久振で旅を味ふ心には、總てが鮮かに感じられた。
柏原には一茶《いつさ》の俳諧寺《はいかいじ》の在ることは聞いてゐたが、霧が深くて見に行く氣にもなれなかつた。何處の國道沿ひにでも見る破驛《はえき》の姿は此村にも見られた。桑の葉の蒸されたやうな香ひと、上簇期《じやうぞくき》に近い夏蠶《なつこ》の臭ひとが、家々の戸口からもれて、路上に漂つてゐた。
村を出拔けると、霧の間から白樺の林の樹幹《みき》だけが、ぼんやりと兩側に見えて來た。しとしと草を踏んで行く自分の草鞋の足音だけが耳に入つた。不圖立ち停ると、急に周圍がしんとして來る。霧が一層濃く覆ひ被さつて來るやうな氣がする。其中で、霧が林の木の枝に引きかゝり、白樺の簇葉《むらは》にからまつて、やがて重い露となつて、ぼた/\草の上へ落ちるのが聞える。
又ぱた/\と歩き出す。と、向うの方から農夫らしい風をした男が二人ばかり、ぼんやり霧の中へ浮ぶやうに姿を見せるかと思ふと、擦れ違つて、直ぐまた後の方へ消えてしまふ。
何のために、何處へ歩いて行くのであらう?
何を目當に旅へ出たのだらう? 何處へ行つたらば、其目的のものが得られるのだらう? 何故旅を思ふときに自分の胸は躍るのだらう? この樣な考えが不圖胸の中へ浮んで來る。
「寂しさの果て」を求めて旅へ行く、さういふ旅でもないらしい。旅へ出なければ消されない程の寂しさを常々感じてゐるわけでもない。目先の違つた景色を求めて歩く、それ程に自然を無變化な、靜的なものだとも考へても居ない。美しい景色とか、變化の多い景色とか、さういふものを搜して歩く好奇心が自分の胸に起つたこともない。それでは何故か。何を求めて歩いて居るのだらう。何處へ行つたらば、その求めてゐるものが得られるのだらう。靜かに引きしまつた自分の心の中へ何が蘇生《よみがへ》つて來るのか、何が浮んで來るのか、私はそれを求めてゐる。恐ろしさと悦《うれ》しさの期待を持つてそれを求めてゐる。
新聞も見ず、手紙も見ず、友人にも離れ、知人にも逢はず、職業にも刺戟にも都會のどよめきにも、電車の響にも總てに離れて、私は歩いて行く。廣い自由の天地の中をたゞ一人で歩いて行く。其時私の心の中へ、胸の中へ、頭の中へ、浮んで來るものは何であらう。私はその者を捉へたさに、その者の閃きが何處へ現はれようとも、――森の中であらうとも、山の頂であらうとも、海岸であらうとも、力の總てを盡してその方へ走らずに居られない。
私はプレジュアー、ハンターが歡樂を追ふやうに、ドンジュァンが千人の女を抱くやうに、しかも幾人《いくたり》の女を抱いても、幾多の歡樂を盡しても、彼の求めてゐる女は一人であり、彼の願ふ歡樂は唯一つであるやうに、私はそのものを求めて歩いてゐるのであらう。それは私には決して空漠たる願望でない。私にはその求めるものは、はつきりしてゐる。たゞそれの表はれる場所と、それの表はれるやうな自分の心構へとを得たいと思つて歩いてゐる。
霧が帽子の縁に突裂かれて、さあツ、さあツと音を立てるやうに思はれる。地上足の向いて行く三尺ぐらゐ前が目に入るだけになつた。今にもこの濃い霧が一時に崩れて雨となりはしまいか。でなければ、この霧が一時に凝結して動きのとれないものになつてしまひはしないか。そんな事を思ひながら歩いて行くと、今迄動かずに一層深く/\集つてゐた霧が次第に少しづつ流れ出した。濃淡の差別《けじめ》を見せて周圍に流れ出した。上の方へ、林の頂へ逃げるやうに昇つて行くもの、下の方へ、草叢の中へ低く爬ふやうに迷ひ込むもの、その中間を透して、豆畑や粟の畑や、草原の白樺の幹やがぼんやり見えて來る。農家が一二軒處々に立つてゐるのが目に入る。
太陽は、晝間見る月のやうに、たゞ薄白く、霧の薄れた中から形だけ見せるけれど、光をば散らさない。その形も見えたかと思ふと、直ぐ霧の中に隱れてしまふ。不圖鶯の聲が白樺の林の中から響いて來た。霧の中にこめられたその聲は、祕めた歡樂をうたふやうに、低い平原國を追はれたものが、山の中へ來て思ふまゝの自由を享樂してゐるやうに、何人をも憚らず唄つてゐる。
霧の薄れて行く林の中から、蝉の聲がまた聞え出した。迷つてゐる者に道を教へるやうに、日中が近寄つて來ることを告げるやうに、身をゆすぶり、木をゆすぶり、林をゆすぶつて、立ちこめる霧を追ひやるやうに鳴き出した。
蘆のこんもり群立つてゐる姿が處々に見えだした。水溜が次第に近寄つて來たことを思はせる。その中からけたたましく行々子《よしきり》の聲が騷ぎ立てる。何ものかの警告を與へるやうに、今まで默つてゐたものが不意に目を醒ましたやうに。
今までは默々として動き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐた霧が、天地を我もの顏に領してゐたのだが、今度は一つ一つ聲を立てゝ、飛び※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るものの生命が目を醒まして來た。
先きの方に、山の裾が見え出して、その裾をめぐつて、曇つた鏡の面《おもて》のやうに、水面がぼんやり霧の中から浮んで見える。山々の間に入り込んで、彼處にも此處にも、光の無い水が見える。けれど水の上は餘所よりも明るい。樹林のこんもり茂つた島の形も見える。小高い途が少しづつ降りはじめて、野尻の村へ入つて行つた。比處にも昔の宿驛の跡が殘つて居た。店家があり、舊い大きな家があり、それが大方皆戸を閉ぢて居る。日は少しづつ光を増して來た。湖面は少しづつその光を照り返して、周圍の緑がきら/\輝き出した。私は急いで家と家との間から、稻田へ出て、その畔の小徑を湖水の岸まで歩いて行つた。
湖に向ふ者の心の靜けさ。自分が何處をどう歩いて來たかも忘れて、突然その岸へ連れて來られたもののやうな氣がする。波の靜けさ、伸びやかさが心を靜めてくれる。波は柔かい手で撫でてくれるやうな氣がする。ぴつしや、ぴつしや、岸へ忍び寄るその音が樂しい囁きとなつて耳から胸へ、胸から體躯全體へ輕く行き亙る。淺い水の中から岸へつゞいて一面に生えてゐる淺緑の蘆の葉が光を反し、人の魂をその中へ吸ひ込む。その中に包まれて立つてゐる者の心は、緑の光となつて四方へ漂うて行く。湖上の霧は低く迷つて、山の間へ奧深く人を誘ふ。
心の引きしめられる心持、固く脣を結んで見張る心持、それは海の與へてくれる命である。湖の岸へ來て立つてゐる時、人の心はなごみ、靜まり、輕い柔しい微笑が脣邊《しんぺん》に漂ふ。霧をくゞつて來る水の忍び寄る柔《やさ》しい響、私はそれを耳にして暫く默つて水面を見つめて立つてゐた。
岸に近い宿屋から船を一艘仕立てゝ貰つて、湖上を周ることにした。
「こんな處にこんな池があるといふことが、東京までも知れて居るんですかね。」
そんな事を言ひながら、一人の若者が櫓を押しながら船を進めて行つた。辨天の祠《ほこら》のある島には杉だの松だのが一面に立つてゐて、石の階段が水際から奧深く次第に高く導いてゐた。その奧には辨天の祠が在つて、四抱へ以上もある杉の老木が電火に打たれて立つてゐた。島を繞つて四方に湖水が開けてゐる。周圍四里近いこの湖水は、幾ら高い所に立つても一望に見果てがつかない。山脚の間々を繞つて入り込んでゐるので、或處は廣く、或處は狹く、周圍にも途がついてゐない。湖を極めるには船に頼るより仕方がない。湖上には日の光が縞を織つて、殆んど微動すら見せない。水の面は明るく、暗く、照り渡つてゐる。
島からまた船に乘つて、誘はれるやうに奧へ奧へと入つて行つた。
何處の湖水にでもロマンスはある。この湖の成立は知らないけれど、若者の語るところでは一種の谿湖らしい。山麓の谿間に自づと水が溜つて、その谿間には巨樹の立つてゐるままで水に浸され、檜や、杉が、水中深く白骨のやうになつて、立枯れしてゐるといふことである。その巨木の立枯れしてゐる中へ、銅《あかがね》の船が一艘沈んでゐる。その船は、謙信の智將|宇佐美貞行《うさみさだゆき》が、謙信の爲めに謀つて、謙信の姉聟|長尾政景《ながをまさかげ》の謀反を未然に防ぐために、二人して湖水に船を浮べ、湖上の樅《もみ》ヶ|崎《さき》といふ所まで出た時に、水夫に命じ船底へ穴を開けさせ、政景の身を擁して、二人とも船と共に水中に沈んでしまつた。その船だといふ。それは事實であらう。その後幾度となくその船を引き上げようと企てた者もあつた。最近一二年前にもこれを企てゝ失敗に終つた者がある。船のあるのは事實だけれど、引き上げることは困難である。水が冷たいのと巨木の間に挾まれてゐるのと、泥の膠着《かうちやく》してゐるのとで上げられない。
二人の死骸すら遂に上げられずにしまつた。纔《わづか》に彼等が着けてゐた具足の端を水中から切り取つて、近くの寺の境内に埋めて、墓を建てたとの事である。幾百年前からとなく水中に沈んでゐるその巨樹を少しづつ切り上げて、その寺の境内にはそれらの木で一宇[#「一宇」は底本では「一字」]の堂を建てゝあるとの事である。
諏訪湖には信玄の石棺が沈められてゐるといふ傳説が一時傳つてゐた。それは明かな虚構であるにしても、鐘が淵に巨鐘の沈んでゐることは今でも信じられてゐる。何處の湖水にでも、何か水中に祕密を藏してゐない事はない。迷信の作り出して來る傳説であらうとも、史實の傳へる遺跡であらうとも、水は靜かな表面を見せて、少しもその祕密を現はさうとはしない。
冬季には、この湖水も諏訪湖と同じく凍りついて、氷上を渡ることが出來る。厚いときは二三尺にも餘ると、若者が話してくれた。
湖の東の方にあつて、逃げゆく霧の中から斑尾山《まだらをやま》が眞正面に見え出して來た。信越の國境を形づくる山の一つである。振り返つて見ると、妙高、黒姫、飯繩《いひづな》の三山が、これも霧の中から徐に姿を見せだした。
私は船をかへして岸の方へ向ふ事にした。信越の境に跨るこの三山の雄大な景色を、ぢつと眺めて居たくなつたからである。上へ/\と逃げて行く霧は、山の中腹から頂にかけて、次第に空へまでも擴がつて、山に近い空は薄灰色にぼかされて一帶にどんよりしてゐる。
妙高は稍々右の方に當つて、峯が重り合つて奇怪な姿を見せてゐる。黒姫《くろひめ》は眞正面に雄大な壓倒するやうな勢で、上から見下してゐる。飯繩は左へよつて右肩からおろして來る一線を裾長く曳いてゐる。
高原地といふ感じをこの三山の連立してゐる地くらゐ、明かに與へる場所は他にない。富士の裾野でも、私達は廣い平野の中へ立つてゐるやうな感じはするが、自分等のゐる處が高い場所であるとは感じない。八ヶ嶽の麓には高原の感じは十分ある。けれども此の三山の裾のやうに、閉鎖せられ、瞰下せられ、サーカスへ入れられた馬のやうに、四方から山といふ巨人に見下されてゐるといふ感じはない。サーカスの中の馬の眼には、人達の塊團《かたまり》が恐ろしく見えるであらう。私達が、これ等の山の麓へ立つてゐるときは、如何にも自分等の小さなことが思はれる。明るい寂しい、空氣の澄んだ中で、丁度壜の中へ入れられた蟲が、人間の眼の働きを恐れるやうに、私達はこの明るい透徹した高原の大氣の中で、一種の恐怖を感じて身の周圍を見廻したくなる。
靜かな湖上から眺めやつた三山の
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