て二三人の人影が見えて来た。近づいて見ると、嫁入りの一群らしい人々であつた。黒紋付に絹の股引を穿いた仲人らしい男と、母親かと思はれる年恰好の老女と、外に二三人の荷担ぎの男がついて花嫁自身も手に何か提げて、頭髪飾《かみかざ》りをして歩いて行く。村の子供がぞろ/\後からついてその一行を賑やかにしてゐた。
 並木道を出抜けると、前は一面に開けて、空は明るい光に輝いてゐた。雲が白く靡いて陸地の果てを劃して居るやうに思はれる。ちよつと立ち止まつて耳を傾けると、ざぶん/\と波の寄せる音がする。
 風は次第に吹き止んで、日は暖くぽか/\と照つて来る。池尻、若見、土田《どた》などの小村を通つて和地《わぢ》まで来たが、何処でも昼飯を食べさせて呉れさうな家は一軒もない。鶏卵を呑んで昼飯に代へて、和地から浜辺へ降りて行つた。
 和地の浜は危い岩が乱立してゐる。波が烈しく打当つて来る。その間をくゞつて漁女《あま》等が、甘海苔を岩から掻き落してゐる。腰までも水へ浸して小さな籠へ根気に掻きためてゐる。牡蠣を砂から掘出して来て食べて見ろと云つて連《しき》りに勧めるが、気味が悪くて手が出ない。
「毒ぢやないかえ、え、あたり[#「あたり」に白丸傍点]やしないか」といふと、
「馬鹿言はつしやるな、あんべえ悪い時にや皆この牡蠣を食べるだ、それ、わんら[#「わんら」に白丸傍点]食へ」
 一人の小さな女の子に投げてやると、急いで拾つて、長く伸びた爪で肉を剥がしてつるりと口へ入れてしまつた。
 こは/″\ながら一つ貰つて、口へ入れて噛んだ。甘辛い鮮かな味はするけれど、気味は悪い。やうやく呑み込んだ。
 砂が深くて膝まで入りさうだ。きやつ、きやつと、何か大騒ぎをしながら波の中へはいつたり出たりしてゐる漁女《あま》達を後にして、岩の間を通つて行つた。白ちやけた貝殻の大きなのが処々に打上げられてゐる。
 小塩津《こしほづ》の浜まで十五町辿つて来ると、岩が無くなつて、砂浜が幅広く一帯につづいて日出《ひい》の絶端まで一望に見渡される。伊良湖の裏浜は最《も》う一里程で尽きるのだ。樅樹《もみのき》の太いのが打上げられてゐる上に腰を下して休むことにした。
 眼前に展開せられてゐる遠州灘、雲の峰はまだ起らないが、燻し銀のやうな色をした雲が水の果てにまろび光つてゐる。力強く引いてはあるが、柔かみのある空際の一線、午に近い日の光と紺青の海とを劃して、思ふまゝに伸びやかに走つてゐる。広くはあれど、小さい無数の変化を見せる水の面は、複雑果しない楽の音を聞くやうに、いかにも豊かな温かい感じを与へる。深いこの碧の水に抱かれて、何処へなりとも身を運んで行つて貰ひたい。波と共に踊りまはり、遊び戯れて、飽くことなき自在な生活を送りたい。
 私は、山頂を劃して来る、あのなだらかな、而も鋭く澄んだ一線に対するときは、身が引き締まり、乱れた心に統一を与へ、取り留めなき自分をはつきり引とゞめて、広い宇宙に自分の立つてゐる有り場を確かに見せて呉れて尊い悦ばしさを味ふ事が出来た。
 けれど、海へ向へば、平かな豊かなるこの海に向へば懐しさが湧いて、躍る胸を押へることが出来ない。固くいぢけて乾からびたやうな形骸の生活、それを脱して飽まで伸びやかな流れ溢れる生活を与へられる。孤疑し逡巡し、骸骨のやうな顔をして互に睨み合つて居るやうな自分の生活から、せめて少しの間でも脱れ出る事が出来る。疑へばこそ人も怪しい影に見える。影と影とが互に歯をむき出合つて、掴みかゝらんばかりに苦しい日頃の生活は、いまこの大きな流動して止まない海の面に対して立つ時に忘られてしまふ。崩れ流るゝ波の一つに我が影を刻んで遠くへ流してやりたい。その波の自在な響を胸にとゞめて、常住の響としたい。からみつき、纒ひつく土着の生活があさましい。流れてやまぬ、海の自在さが求めたい。
 流木の上に腰を下して私は黙つて海に見入つてゐた。S君も側に並んで腰を下してゐたが、同じく黙つて一語も発しない。
 私達のゐる背後は、一帯に砂の丘をなして、その蔭には樟や竹や樫の一列の森が自らの防潮の林をなしてゐる。その丘の間から牛を連れた男が出て来て、浜辺に牛を放して、自分だけは砂の上へ身を横にしてゐる。牛は波打際をのそのそ歩いてゐるが、波がざぶんと打寄せると、不意に飛び出して、陸地の方へ馳ける、がまた寄つて来て波を浴びてゐる。
 日出《ひい》の浜には子供等が集まつて焚火をしてゐた。船底に藻草のついたのを火に焼くのが如何にも面白さうなので、子供等はその火の周囲にわい/\云ひながら飛び廻つてゐた。
 日出の岬の海中には巨きな岩が三つばかり波を浴びて立つてゐた。その岩の傍を、掛け声をしながら十五六人の船頭が漁船を漕いで行つた。岬の絶端を向ふ側へ磯伝ひに廻れるかと子供等に聞くと、「どうだか」と
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