紺青の海とを劃して、思ふまゝに伸びやかに走つてゐる。広くはあれど、小さい無数の変化を見せる水の面は、複雑果しない楽の音を聞くやうに、いかにも豊かな温かい感じを与へる。深いこの碧の水に抱かれて、何処へなりとも身を運んで行つて貰ひたい。波と共に踊りまはり、遊び戯れて、飽くことなき自在な生活を送りたい。
私は、山頂を劃して来る、あのなだらかな、而も鋭く澄んだ一線に対するときは、身が引き締まり、乱れた心に統一を与へ、取り留めなき自分をはつきり引とゞめて、広い宇宙に自分の立つてゐる有り場を確かに見せて呉れて尊い悦ばしさを味ふ事が出来た。
けれど、海へ向へば、平かな豊かなるこの海に向へば懐しさが湧いて、躍る胸を押へることが出来ない。固くいぢけて乾からびたやうな形骸の生活、それを脱して飽まで伸びやかな流れ溢れる生活を与へられる。孤疑し逡巡し、骸骨のやうな顔をして互に睨み合つて居るやうな自分の生活から、せめて少しの間でも脱れ出る事が出来る。疑へばこそ人も怪しい影に見える。影と影とが互に歯をむき出合つて、掴みかゝらんばかりに苦しい日頃の生活は、いまこの大きな流動して止まない海の面に対して立つ時に忘られてしまふ。崩れ流るゝ波の一つに我が影を刻んで遠くへ流してやりたい。その波の自在な響を胸にとゞめて、常住の響としたい。からみつき、纒ひつく土着の生活があさましい。流れてやまぬ、海の自在さが求めたい。
流木の上に腰を下して私は黙つて海に見入つてゐた。S君も側に並んで腰を下してゐたが、同じく黙つて一語も発しない。
私達のゐる背後は、一帯に砂の丘をなして、その蔭には樟や竹や樫の一列の森が自らの防潮の林をなしてゐる。その丘の間から牛を連れた男が出て来て、浜辺に牛を放して、自分だけは砂の上へ身を横にしてゐる。牛は波打際をのそのそ歩いてゐるが、波がざぶんと打寄せると、不意に飛び出して、陸地の方へ馳ける、がまた寄つて来て波を浴びてゐる。
日出《ひい》の浜には子供等が集まつて焚火をしてゐた。船底に藻草のついたのを火に焼くのが如何にも面白さうなので、子供等はその火の周囲にわい/\云ひながら飛び廻つてゐた。
日出の岬の海中には巨きな岩が三つばかり波を浴びて立つてゐた。その岩の傍を、掛け声をしながら十五六人の船頭が漁船を漕いで行つた。岬の絶端を向ふ側へ磯伝ひに廻れるかと子供等に聞くと、「どうだか」と
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