りたがる酔どれの首筋から両手一杯に、二人の洋服の襟を引きちぎる程引きずり出していた。
「お帰りなさいな」
小娘はそう云っているに違いなかった。娘という者は、強悪な親爺みたいに、獣のように悪態を吐く筈がない。
娘が少しでも、油断すると酔どれは自分の尻を嘗めようとした。もう何んとしても、彼奴等には、海泥のように性根がないのだ。
ウォツカの雫で濡れ放題のカウンターを、その団扇《うちわ》みたいな手で歪むほど打ちのめすと、尻尾を踏んづけられた狼のような唸り声をたてて、蹴倒した木椅子を両脚で突き飛ばしながら、亭主が巨大な図体を癇癪の筋だらけにして飛び出して来た。そして小娘の手から酔どれの襟首をひったくると、躄車《いざりぐるま》みたいに往来に引き出して行って、そして二人を同時に鉋屑のように抛り出した。
「|出て行け《ゾバ》!」
と、たんまり儲けたことは忘れて、支那語で酔どれをケン飛ばしかねない権幕で喚めいた。
大連は彼の愛するロシヤ人から、こんな待遇で酬いられたことを知ったら最後、シャベルでロシヤの国土を地球の外へはね出しかねない調子で地団駄踏んで口惜しがるに違いない。
(彼奴は、白のスパイに違いないのだ!)
二人の酔どれが、眼を醒ました時には、酔払わない前と同じように、真昼間だった。太陽が焼けていた。風がちっともなかった。ただちょっと頭がふらついた。――この辺から少し昨日と変っている。汗ばんだ肌が、砂利でこすったように痛かった。咽喉が乾いた。
何んだか少し世界の角度が狂ったような訝かしさを、二人は宿酔《ふつかよい》の頭に感じなければならなかった。
周囲の記憶が、少しもなかった。――無理もない。彼等は宿泊所の畳の上で目醒めたのだ!
彼等はすっかり時の経過と、生命の流れの一部分を忘却していたのだ。彼等の二人は、握手をかわした馭者や、乞食みたいなロシヤ人によって、タワリシチの礼をつくすために、この宿泊所へ運び込まれたことを少しも知らなかったのだ。若しも大連が、そのような親切な介抱を、彼の愛するロシヤ人によって受けた事実を知ったならば、彼は骸骨になってでも東支鉄道の線路を伝いつづけて、彼の愛するロシヤに突走る覚悟を決めたであろう。
左官は一度目を覚ましたが、また寝こんでしまった。はっきりほんとに眼を覚ましたのは夕方であった。
大連がいなかった。だが、そんなことは
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