だった。
 また彼はどこかで、いつ習い覚えて来たのか知らないが、『ボルシェビキイ』だの『カリーニン』だの『ブハリン』だの、または『イリッチ・レエニン』だの、それから『ハラショ』に『スパシーバ』ぐらいの露西亜語を、支那語と一緒くたに使いまくって、得体の知れない気焔を、誰れかれの差別なく、強慾な主人をでも、生れ落ちた時から馬小舎の悪臭から抜け切ったことのないような馭者、また何処でどう一日一日を喰って行くのか、まるで見当のつかないような素足の露西亜人をよく掴まえては吹っかけて、『ボルシェビキーは|好き《ハラショ》』だの『帝政派は|嫌いだ《ネ・ハラショ》』だのと、まるで鶏の尻から臓腑をひき出すような手付で、無我夢中で興奮していた。
 露西亜人たちは、その野放図もない胴体で、ちょっとばかり力を入れれば、押し潰れそうな手製の貧弱なテーブルを股の中に抱き込んで、しかも雀の涙ほどのウォツカの杯《グラス》を見つめながら、この道化者の気狂いじみた興奮を猫脊に微笑んでいるのだった。そして彼にはそういう怪物みたいな露助が、一言の反対もなく彼の気焔に微笑んでいてくれることが、何よりも嬉しいと見えて、それだけでもう充分に有頂天になれて底抜けた興奮に駆り立てられずにはいなかったのだ。
『大連』は全く交尾期《さかり》のついた馬みたいに荷馬車を蹴飛ばして、シベリヤの曠野を突走りかねない量見を抱いているらしかった。それはまるで途方もない心掛けだ!
 若者はこの『大連』がそういう途徹もない量見と、気狂い染みた情熱をもっていようとは夢にも知らなかった。
 第一大連は、若者が豚小舎みたいな宿泊所に辿りついた時に、虱を潰していた男が、痴呆症みたいに二日三晩も寝通したと言ったし、その上支那服が野犬を料理《りょう》る時に、彼は憂鬱に黙りこんで、水汲みにぼい使われていながら不服そうな面も出来なかった。それに暇さえあると、誰れの話にも割り込もうとはせずに、無口な面構えで寝転んでばかりいた。
 其彼に、こんな気狂じみた情熱があろうとは! 若者は夢にも知らなかったのだ。
 黒眼鏡が酔いつぶれる時に、きまってあげる『オダ』に依れば、彼はどうにもしようのないやくざ者で、人の女房と姦通して、おまけに亭主の頭の鉢を金テコで打破って、無期徒刑を喰ったのだが、御大典のおかげで、二度と出られる筈のなかったこの社会に舞い戻って来たという
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