の存在的な關係そのもののうちに横たはつてゐると考へられる。無限な神と有限な人間との間には存在上如何なる比例もないところに、人間の神に對する關係も定められてゐる。このやうな考へ方とは反對に、認識論上の不可知論は認識の規定から絶對者への道を取る。カントはかかる道において物自體(Ding an sich)は知り得ないといふ不可知論的な方向を示してゐる。イギリスの學者ハミルトンは、カントの影響のもとに、内的經驗といふ意識の事實においてはつねにただ有限なものが有限な諸關係において我々の認識に達するのみであり、この意味において人間の知識は有限なものの經驗に限られるとした。無限なもの、絶對的なものは認識すべからざるものである。この不可知論は一方ではマンセル、他方ではスペンサーなどの哲學においてひとつの重要な役割を演じ、イギリスの哲學の上に絶えず投げられてゐる顯著な陰影である。ところで我々にとつて重要なことは、認識論的哲學がこのやうに認識の問題を實在の問題に必ず先立つべきものであるとし、前者の解決を後者の解決に缺くべからざる先決條件とするところから、進んで、實在の問題に對する、いな、一般に存在の問題に
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