題は認識論の成立にあたつて重要な意味をもつてゐたのである。
認識論にとつて非形而上學的或ひは反形而上學的結論は先取的である。そこでカント以後の哲學、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのいはゆるドイツ浪漫主義の哲學において再び形而上學的傾向が勃興して來たとき、固有な意味で認識論と呼ばれるものは姿を消してしまつた。これらの哲學において認識の問題が論じられなかつたといふのではなく、いな、そこには極めてすぐれた認識の理論が含まれてゐるのであるけれども、認識論といふものは存在しなかつたのである。なぜならそこでは認識の理論は實在の理論と再び密接な聯關において述べられたからである。ヘーゲルにおいて最も雄大な體系に組織された形而上學は、彼の死と共に瓦解し始める。そしてこのとき現はれた形而上學の批判者のうち最も有力なものはまた自然科學であつたのである。かくして再び認識論は擡頭して來た。認識の問題が實在の問題から離れて論ぜられることになつたからである。認識論が形而上學の不可能を證明すべきものとして要求されることになつたのである。
自然科學と認識論とのこのやうな因縁を考へるならば、從來の認識論が主として
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