觀への還元をフッサールは間主觀的還元(intersubjektive Reduktion)と稱してゐる。なほカントとの差異は次の點にも認められる。フッサールの説はもと知覺説である。これに反してカントは認識は判斷であると考へる。そこで前者においては純粹な受動性が、後者においてはむしろ純粹な能動性が重んじられてゐる。またこのことと關係して、前者において問題となつてゐるのは主として、あのライプニツの區別に從へば、永久眞理の世界であるに反して、後者においてはむしろ事實眞理の世界が問題となつてゐるのである。カントの關心は事實眞理の普遍性と必然性とを基礎附けることに存したのである。フッサールでは永遠な本質存在(Sosein)が問題であるに對して、カントでは經驗的な現實存在(Dasein)が問題であつた。

    四 認識と生

 我々は認識に關する諸理論が一定の構造を示してゐるのを見てきた。どのやうな存在が問題となつてゐるかといふことに、どのやうな心的作用がその認識にとつて根源的と考へられるかといふことが相應してゐる。更にそれらのことに認識そのものの理念が相應してゐる。例へば知覺説においては眞理
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