理論的態度と見ないで、實踐的性質を帶び、意欲的能力の共存する精神の發現と見なければならぬといふ結論を引出してゐる。またウィンデルバントは判斷(Urteil)と價値判斷(Beurteilung)とを區別する。判斷といふのは價値判斷によつて初めて眞僞が判定されるところの純理論的な表象結合である。我々の思惟にして認識を、從つて眞理を目差してゐる限り、我々の判斷はすべて價値判斷のもとに從屬する。認識の命題はつねに判斷と價値判斷との或る種の結合を含んでゐる。それは表象の結合ではあるが、その眞理價値は肯定または否定によつて決定される、とウィンデルバントはいつてゐる。ところで判斷の本質に關するこれらの見方がなほ幾分心理學的であるのに對して、リッケルトは判斷の本質を純粹に論理的に考察するには、判斷をもつて問に對する答と見れば最も適當であると考へる。問に對する答は、その問の答へられることが可能であり、延いては求められた判斷が可能であるときには、必ず肯定または否定の形をとつて現はれる。判斷の論理的本質は問のうちにある表象的要素の肯定或ひは否定なしには考へることができない。いま認識は判斷であり、判斷の本質は
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