に缺くことのできぬまことの色ともいふべき普遍(universalia)は眞實に存在するものと考へらるべきではないであらうか。ここに普遍といふのは、物體の普遍的な性質、延長、形状、數、空間、時間などである。從つて複合的な物體を考察する物理學、天文學、醫學などの學問が疑はしくあるとしても、最も單純で最も普遍的な對象を取扱ふところの、算術や幾何學の如き學問は確實であると結論され得ないであらうか。デカルトは最後に數學の教へる命題もまた一般的な懷疑のうちへ引き入れられねばならぬと考へたのである。
ここに我々はデカルトの懷疑の目的がどこにあつたかを知ることができるであらう。第一に、彼は懷疑を物の超越的存在に向けた。知覺や記憶はこれらの心像に類似し相應する物が我々の意識の外に實在するかのやうに我々に告げる。デカルトは我々のこのやうな自然的な考へ方を押しやるために夢の假説を用ゐてゐる。私はしばしば夢において私が現に見たり觸れたりする事實と同じ事實を同樣に明かに意識することがある。そして仔細に考へると、私は夢と現とを分つべき確かな指標を知らないのであるから、私は私の生涯の現實がひとつの夢幻でないといふ
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