延長、形状、不可入性、運動、靜止及び數の如きがこれである。第二次的性質といふのは色、音、味、匂、温覺の如きものであつて、これらの性質は物體そのもののうちになく、我々の心のうちにあるのみである。眼を閉ぢると色は消え、耳を塞ぐと音は失はれ、このときなほ殘るものは物體の大いさ、形状及び諸部分の運動である。そして例へば温覺は物體の知覺し得ぬ極めて小さい諸部分の甚だ活溌な運動によつて惹き起される。このやうに第二次的性質は第一次的性質から派生されたものである。ところで反省は感覺から生ずる表象内容について行はれる精神そのものの諸機能の意識を含んでゐる。これらの機能には、記憶、區別、比較、結合、命名、抽象等のものがある。單純觀念から生ずる複合觀念としては、樣態、實體、關係などがロックによつて擧げられてゐる。
いま經驗論における眞理の概念がまた模寫説的なものであることは明かである。經驗が何故に認識の源泉であるかといへば、それが實在の模寫であるためである。しかしここに注意すべきことは、近代の認識論の端初に立つといはれるロックの哲學において既に、眞理の概念が存在の概念との關係を離れ始めるに到つたことである
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