。そして實際ヘーゲルの後、彼の形而上學は勢力を失墜しはしたが、彼の哲學の精神は科學の座標において分解され、かくして歴史科學及び社會科學の著しい發展を喚び起した。ここにこれらの科學の認識の理論が特に問題にされることとなり、それと共にいはゆる認識論は次第に解消されることとなつた。ヴィルヘルム・ディルタイの生の哲學(Lebensphilosophie)がこの傾向を代表するであらう。しかるに第二に、認識論においては認識の理論が存在の理論から游離するといふ自然的な傾向がそのうちに含まれてゐた。それだから、いまもし何等かの意味で存在の問題が再び重要視されるに到るや否や、いはゆる認識論といふ特殊なものは、他のものに變形してゆかねばならぬ。カント以前の哲學、特にデカルトの哲學に接近を求めていつたところのエドムント・フッサールの現象學(〔Pha:nomenologie〕)において我々は既にかかる傾向のひとつを見出し得るであらう。
これまでに明かにして來たことは、認識論の歴史性といふことに盡きる。最近に至るまで哲學において支配的であつた認識論的傾向はそれ自身ひとつの歴史的なものである。從つてそれはそれ自身のうちに或る前提、或る先入主見、或る偏向を含んでゐる。これらのものを明るみに出すことが今や哲學そのものの發展のために要求されてゐると思はれる。私のこの小さい解説的研究はその目的のために許される限りにおいて仕へねばならなかつた。もし認識論といふものを廣い意味に解し、その歴史的制約を除いて考へるならば、かかる意味での認識の理論一般はいはば哲學と共に古く、いつの時代にも、いかなる哲學のうちにもつねに包まれてゐたところのものである。それは理論哲學一般とその範圍を同じくする。それは例へばギリシアの學問が學問を物理學、倫理學及び論理學の三つに區分したといはれる場合の論理學にあたるものであらうが、このとき論理學はギリシアの學問において近代におけるそれとは全く違つた意味をもつてゐたのである。
いまや我々は認識に關する理論をいはゆる認識論の偏見から解放しなければならない。そのためには我々は存在の問題に深く入つてゆくことが必要であると考へる。認識の問題を存在の問題のうちに排列するといふ方向へ我々は進んでゆくべきであらう。
底本:「三木清全集 第四巻」岩波書店
1967(昭和42)年1月17
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