はひとつの抽象物に過ぎず、現実の我、現実の主観ではないといわれるであろう。そこで意識一般は当為であるとか規範であるとかと答えられる。けれども主観という以上、それは働くものでなければならぬ、働くものは現実的なものでなければならぬ。現実の人間は超越的なものとして、内において自己が自己を超えるということがあり、超個人的といわれるような意味をもつことができる。主体の超越において認識主観としての意識一般も考えられるのである。かようにして根源的には主体の超越によって初めて存在はそのものとして顕わになるとすれば、真理は本来知識の真理を意味するということもできるであろう。
 物を知るためには我々は誠実でなければならず、さもないと真理は知られない。誠実とは己れを空しくすることであり、それによって存在はそのものとして我々にとって顕わになる。己れを空しくするとは内において自己が自己を超えることであり、それによって自己は却って真の自己となる。誠実或いは真実は物のまことに対して人間のまことのことである。人間のまことは物のまことを知るための条件である。しかるに人間のまことは、まこととして、それ自身において積極的に
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