に自己に対立するものを自己の否定の契機として自己に媒介し、これを自己のうちに生かすことによって、哲学は真に具体的な知識になり得るのである。哲学の仕事は、新カント派が考えたような意味での科学批判、即ち単に科学の論理的基礎を明かにするという形式的な仕事に尽きるのでなく、科学的世界像に媒介された世界観を樹てることを究極の目標としている。尤《もっと》も、科学の哲学への媒介は科学批判を通じて行われねばならぬであろう。批判というのは、その前提であるものを反省してそれに基礎をおくこと、いわゆる基礎付けであり、基底付けである。そして科学の基礎付けも基底としての世界からなされ得るのである。知識の問題を存在の問題から分離することはできぬ。学的であるべき哲学は論理的でなければならぬが、論理といっても、抽象的に形式的に考えられるものでなく、論理は現実の構造のうちにあるのである。最も具体的な現実は歴史的現実である。同じ歴史が繰返すと考えるとき、そこに自然があり、自然とはいわば習慣的になった歴史である。哲学の論理は根本において歴史的現実の論理でなければならぬ。哲学はどこまでも現実の中になければならず、その点におい
前へ
次へ
全224ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング