一定の歴史的時期において集中的に大量的に現われるのみでなく、あらゆる場合に存在している。習慣は絶えず破られるであろう。しかし旧い習慣が破られるにしても、新しい習慣が直ちに作られる。人間は習慣なしにやってゆくことができぬ。習慣が必要であるように、常識も欠くことのできぬ重要性をもっている。
 ところで有機的と危機的とは、社会における均衡と矛盾との関係を意味し、社会がもと対立するものの統一であることを示している。常識は閉じた社会のものであると私は述べたが、いかなる社会も単に閉じたものでなく、同時に開いたものである。ベルグソンは、閉じたものと開いたものとはどこまでも性質的に異るものであって、閉じたものをいかに拡げても開いたものにはならぬといっているが、社会は元来このように対立するものの統一である。人間は閉じた社会に属すると同時に開いた社会に属している。我々は民族的であると同時に人類的である。かようにして、常識というものにも二つのものが区別されるであろう。それは一方、すでにいった如く、或る閉じた社会に属する人間に共通な知識を意味する。この場合、一つの社会の常識と他の社会の常識とは違い、それぞれの
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