し、その際その常識の根拠、一つの常識と他の常識との論理的関係は反省されていない。常識の斉合性は慣習のもっている斉合性と同じ性質のものである。それは常識が社会の有機的な関係と結び付き、それに相応する有機的な知識であることに基いている。社会の有機的な関係というのは、社会のうちに均衡が保たれている状態であって、この場合個人と社会との間には適応が持続的に存在している。その均衡から習慣が生れ、それに従って常識が作られる。社会のうちに均衡が存在する限り常識は通用する、また社会は現存する均衡を維持するために人々が常識的であることを強制するのである。
 常識の右の如き性質は逆に何処から常識が破られるに至るかを示しているであろう。常識は先ず日常的な知識であった。そこで常識は非日常的なものの経験によって動揺させられる。哲学が驚異に始まるといわれるのも、そのためである。ひとり哲学のみでなく、すべての精神的文化は、非日常的なものの経験或いは日常的なものの非日常的な仕方における経験から生れるのである。日常的な知識は習慣的な、その意味において自然的になった知識である。その常識が破られるところから特に精神的といわれ
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