有な意味における技術は道具を作り、道具を用いて物を作る技術である。器官と道具との区別は、器官が有機的(生命的)なものであるに反して道具は無機的なものであり、器宮が身体と直接に一つのものであるに反して道具は身体の外に作られるものであり、器官がなお主体に属するに反して道具は客観的なものであるというところに認められるであろう。身体の器官もすでに道具と考えられるとすれば、技術的知性の特徴は道具を作る道具を作るという点にある。尤《もっと》も、道具は純粋に客観的なものでなく、人間の主観的な目的と物の客観的な法則との統一を現わしている。けれどもこの統一は客観的な物の形において実現され、かようにして道具は主体から独立なものである。道具を用いる技術によって我々の環境に対する適応は直接的でなく媒介されたものになる。本能による適応が直接的であるに対して、知性による適応は媒介的である。それは知性が身体に束縛されないで自律的であるところに由来している。知性とは構成されたものによって所与のものを超える力である。技術は与えられたものの上に新しいものを作る、技術は生産的であり、世界を革新しまた豊富にする。人間は技術に
前へ 次へ
全224ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング