家を建てることのできぬ大工は大工の徳に欠けているのである。徳をこのように考えることは、何か受取り難いように感ぜられるかも知れない。今日普通に、道徳は意志の問題と考えられ、徳というものも従って主観的に理解されている。しかるに例えばギリシア人にとっては、徳はまさに有能性、働きの立派さを意味したのである。この見方はルネサンスの時代に再び現われた。徳は力であるということも同様の見方に属している。実際、人間の行為はつねに環境における活動であり、かようなものとして本質的に技術的であることを思うならば、徳を有能性と考えること、それを力と考えることでさえも、理由があるといわねばならぬ。行為は単に意識の問題でなく、むしろ身体によって意識から脱け出るところに行為がある。従って徳というものも単に意識に関係して考えらるべきものではないのである。芸術を制作的活動から出立して考察し、その一般的原理は美でなく却って真理であるといったフィードレルは、芸術的に真であることは、意図の、意欲の問題でなく、才能の、能力の問題であると述べている。我々は道徳的真理について、同じように、道徳的に真であることは、単に意志の問題でなく
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