の他に対する責任でなく、自己の自己に対する責任でなければならぬ。他に対して責任を負うことが同時に自己に対して責任を負うことであり、自己に対して責任を負うことが同時に他に対して責任を負うことであるというところに、人間のまことがあるのである。そして人格の観念と責任の観念とは本質的に結び付いている。人格とは責任の主体である。責任の主体は自由でなければならず、自由なものであって責任の主体となり得るのである。「汝為すべし」と呼び掛けられているのを知る人間は、まさにそれによってまた自己が自由なものとして、自己の道徳的自由に向って呼び掛けられているのを知るのである。自由と責任とは不可分のものである。
 ところで他が自己に呼び掛けるというのは他が表現的なものであるからである。汝として我に対するものは表現的なものでなければならぬ。汝は表現的なものとして我の行為を喚《よ》び起すのである。人間の真理と虚偽が、ほんととうそとして、特に言葉に関して理解されるのも、そのためである。我々の行為は表現的なものから喚び起されるのであり、かようなものとしてそれ自身表現的である。主体と主体とは表現的なものとして相対し、その
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