ものであるためである。対象がリップスのいわゆる「対象の要求」をもって我に臨むというのは、それが表現的なものであるからである。そして我々が良心的であることによって物は我々に対して真に表現的に顕われるのである。
もとより認識にとっては単に良心的であるということだけでは足りないであろう。知識を得るにはその能力がなければならず、従って有能性が問題である。有能性は技術的意味のものである。知識を得るには方法的でなければならず、方法なしには学問はない。学問とは方法的に得られる知識である。方法は一方主観的なものである。対象は方法によって規定される。しかし方法はまた対象から規定される。方法は対象に適した方法でなければならないからである。即ち方法は主観的・客観的なものであり、かようなものとして技術的である。有能性とは方法における練達、優秀な技術を意味し、これを欠いては知識の倫理は抽象的なものに止まるであろう。しかし方法或いは技術は悪用され、真理に達するために用いらるべきものが却って真理を歪曲するために用いられることができる。そこに欠けているのは良心である。認識もあらゆる表現作用の如く形成的であり、技術的
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