絶対的一般者ともいうべき世界が考えられねばならぬ。世界は世界においてある。世界がそれにおいてある世界は絶対に主体的なものであり、一切のものはこの世界から作られ、この世界の表現である。主体的ないし主観的ということを直ちに人間或いは意識と結び付けて考えてはならない。それはすべて形成作用のあるところに認められる関係であって、形成作用は表現作用であり、表現はつねに内と外との、主観的なものと客観的なものとの統一という意味をもっている。一切のものは世界の主観的・客観的自己限定或いは特殊的・一般的自己限定として生じ、世界においてある。世界が世界においてあるという場合、その世界即ち無数に多くのものの総体としての世界と絶対的場所としての世界とは客体と主体というようにどこまでも対立すると共にまたどこまでも一つのものである。相対と抽象的に対立する絶対は真の絶対でなく、真の絶対は却って相対と絶対との統一である。かくて世界は多にして一、一にして多という構造をもっている。人間は世界から作られ、作られたものでありながら独立なものとして、逆に世界を作ってゆく。作られて作るものというのが人間の根本的規定である。
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